戸田城聖全集質問会編 134 日本の神道

 

〔質問〕 伊勢の皇大神宮、天照大神宮などという神様の問題について、教えてください。  

 

 日本の神道ですが、もともとは神道ということばもなかったのです。神社というのはただお墓のようなものなのです。先祖をまつりまして、その先祖を崇拝して、ただ尊敬してしまっているというのが、むかしの日本の神様にたいする考え方なのです。ところが、徳川幕府の中期に中国語に訳されたバイブルが日本にはいってきました。そこで、あのバイブルの神学の考え方、あの考え方が日本の神道にはいってきた。こういうりっぱなものがあるならば、われわれもそれになぞらえてつくらなければなりませんといって、つくったのが神道の教義なのです。いまの神道なのです。要するに、キリスト教の流れのようなものです。

 ところで神様というものは。一つは仏教上の神、一つはキリスト教の神、一つは日本の神様になるわけです。日本の神様は氏神が中心です。氏神の大元締めが天照大神、皇大神宮です。氏神をまつったのは、氏子です。たとえば、私がある村をつくったとします。そして死んだとすると、その村の人たちはみな私の子孫ということになるのです。村中の人からみれば、私が村を守ることになります。そこで村の人たちが私を氏神としてまつるということになるのが本体なのです。それで日本の国家を護るという大元締めが皇大神宮になっています。ところがいまは、イナリをまつったり、なんとか地蔵さんとか、わけのわからないものをまつっています。そうなってしまうと。神様だか仏様だか、見当がつかないでしょう。そういうものをまつっているところまで、神社と称するようになってしまったのです。

 さて、この日本の先祖を代表したものが天照大神なのです。ですから、われわれが、天照大神に頼みたてまつる以上に、天照大神もわれわれを守らなければならないと思うのです。

 ところで、天照大神のみことのりは、たった一つです。「瑞穂(みずほ)の国はこれわが子孫の(きみ)たるべき(くに)なり。(なんじ)皇孫いでまして(しら)せ。さきくませ。宝祚の(さか)えまさんことまさに天壌(てんじょう)(きわま)りなけん」。この内容というものは、たった一言、国を護りますよ、といっているのです。

 だからわれわれとしては、尊敬していかねばならんと私は信じます。日蓮大聖人様もそうおっしゃっておられます。この日本の神々は、題目の声を聞いて法味を受け、威光を増すことになっているのです。

 ところが、日蓮大聖人様、ご出現あそばして七百年、その七百年の間、天照大神に法味をさしあげていない。氏神にも、法味をさしあげていない。そこで日蓮大聖人様のおことばによりますと、神天上説と申しまして、日本の善神は日本には住んでいないのです。そこで、天照大神の(やしろ)にも氏神の社にも、みな悪鬼邪神が住んでいるということになっています。だから、ろくなことがないのです。

 さきほど申しましたが、「宝祚の隆えまさんこと」というのは天皇陛下の住みたもうことでしょう。ところが「隆えまさんこと天壌と窮りなけん」という、たった一つの約束が果たされないではありませんか。マッカーサーに取られてしまったり、いま、天皇陛下とソビエト人と、どちらが力になるのだかわからないでしょう。日本の国民は天皇陛下をだいたい忘れたみたいです。そういうか、わいそうな天皇陛下にしてしまったというのは、天照大神に守護の力のないせいかもしれません。こういうと、天照大神の悪口をいっているようですけれども、今度の戦争中には、ほんとうの天照大神は、日本の国にはいなかった。天上に行ってしまったのです。だから、しかたがありません。

 そこで早く広宣流布して、天照大神にお帰りになっていただいたほうが、日本の国は幸福だと思います。そうしたら景気よくお祭りをやりたいと、私は思うものでございます。