戸田城聖全集質問会編 131 方便について

 

〔質問〕 仏法上の方便について教えてください。

 

 方便に、法用(ほうゆう)能通(のうつう)()(みょう)の三つの方便があるのです。「うそも方便」ということばは、あとで日本人がつくったのです。お釈迦様はこんなことはいいません。

 法用方便というのは、ちょうど赤ん坊をかわいがるみたいなものです。赤ん坊などは怒ってみてもどうしようもないのです。ちゃんとおすわりといっても、むこうはすわるわけありません。むこうがブウブウいっているのだから、むこうのいいなりになっているのです。それを法用方便というのです。

 能通方便というのは、そうとう大きくなってきてから、用いる方便です。それからおこるのです。いままであまやかしてきたけれども、そういうわけにはいかない、しっかりやらなければだめだという、それが能通方便です。

 今度、いよいよ最後になって、法華経にくると秘妙方便という。秘妙方便というのは、おまえも仏ではないか、おまえも御本尊の体ではないか、なにをぼやぼやしていたのだ、それを病気したり、貧乏したり、そんなばかなことはないではないか、ちゃんと御本尊様を拝まないからそうなるのだと、このようなことをいうのです。そして秘妙の秘は秘密です。

 秘密とは寿量品の「如来秘密神通之力」に通ずるのです。御義口伝を読んでごらんなさい。

御義口伝には、如来という文字があります。この御義口伝には「南無妙法蓮華経如来寿量品第十六」とあるのです。ほかのところには南無がついていないのです。南無妙法蓮華経如来寿量品のあの如来で、南無妙法蓮華経の如来になるのです。また、如来秘密神通之力の如来であります。これを秘妙方便といいます。

 いま、われわれは凡夫です。凡夫であるけれども、ひとたび題目の功力をうければ仏の姿になります。もう一つ、これにからんでの議論は観心本尊抄です。それにたいして、もう一つからめば開目抄です。開目抄は「人本尊」の開顕、観心本尊抄は「法本尊」の開顕です。そこから秘妙方便という方便品の意義がはじめて開かれてくるのです。それを釈尊の仏法の本門、それをもう一ぺん開く、それを独一本門、日蓮大聖人様の仏法です。

 ですから方便というのは、この三つしかないのです。法用、能通、秘妙の三方便しかありま せん。やかましくいえば、いま読んだような方便です。