戸田城聖全集質問会編 128 戒定慧について

 

〔質問〕 (かい)定慧(じょうえ)の三学について説明してください。

 

 いかなる仏法でも戒定慧の三学がかならずあります。それが正法時代の仏法であろうと、像法時代の仏法であろうと、末法時代の仏法であろうと、戒定慧の三学はかならずなければならないのです。

 この戒と申しますのは、こうしてはいけないとか、うそをいってはいけないとかいうことで、これは小乗教では五戒とか。二百五十戒とかいって、いろんな規則があります。それを破ってはいけないことなのです。歌ってはいけないとか、踊ってはいけないとか、それはやかましいのです。もしあなた方が戒律が好きで、こんなことやってごらんなさい。たいてい三日ぐらいでのびてしまうか。ら。これが小乗教の戒であります。

 戒をたもち、静かな心持ちになり、智慧を増してくるという、この三つの手段がどんな仏法にもあります。これを戒定慧といいます。ですから、小乗教にも戒定慧があり、権大乗教にも戒定慧があり、法華経迹門にも法華経本門にも、また文底深秘の大法にも戒定慧があります。

 これを釈尊はまた大きく開いて、四つの時代に分けています。それは釈尊滅後正法五百年の間は、戒をたもつ者が仏になるという教え、次の五百年には、禅定を行う者が仏になります。今度は像法になります。釈尊滅後千年からの五百年には、智慧修行をする者が仏になります。この予言は、そのとおりになっているのです。

 ですから、釈尊滅後千年から五百年というとちょうど中国へ仏法が渡ったころで、その渡ったころから五百年の間は、ひじょうに仏教の研究が盛んでして、読誦(どくじゅ)多聞(たもん)堅固(けんご)という時代で、ひじょうに智慧修行が盛んになっています。

 そのとおりになっているのです。その後の五百年が布施行(ふせぎょう)になるのです。釈尊滅後千五百年からあと五百年には寺が多く建っています。歴史を調べてごらんなさい。ひじょうに寺が建っています。要するに、戒定慧の三学は、あらゆる仏法上ひじょうにたいせつなことなのです。

 それでは、わが日蓮大聖人の戒定慧はどうか。戒律は、釈尊の戒律は用いません。ですから、「持戒もなし破戒もなし無戒の者のみ国に充満せん」(御書全集一四九五㌻)とおっしゃっておられます。これは釈尊の戒がないという意味なのです。よく末法無戒だというと、末法には戒がないからなにをやってもよいと思いがちです。

 ところがそうではないのです。釈尊のこしらえた戒律がないということで、思い違いしてはだめです。日蓮大聖人様には「金剛(こんごう)宝器(ほうき)(かい)」という戒があります。これは自分でやらなくてもいい、ひとたび御本尊を受けたら、退転しようがなにしようが、御本尊様とは離れられない。これが金剛宝器戒です。

 そして、虚空(こくう)不動(ふどう)(じょう)、虚空不動戒、虚空不動慧という、末法では三つの戒定慧があります。

そして、この戒定慧がなにかというと、三大秘法のことです。末法今日におきましてはすなわち、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇、これが戒定慧の三学になるのです。

 これが釈尊の仏法では「色香美味(しきこうみみ)」となり、これを天台が戒定慧と約したのです。当門では三大秘法に約すのです。ですから、御本尊を拝んでいることが、すなわち戒定慧の三学をやっていることになるのです。別々にならないのです。「南無妙法蓮華経」これで戒定慧をうんとやっていることなのです。智慧も増すのです。ばかが利口になるのです。