戸田城聖全集質問会編 113 日蓮正宗と邪宗の供養の違い

 

〔質問〕 お盆やお彼岸に、塔婆供養をするのはなぜでしょうか。また邪宗による供養と日蓮正宗による供養では、どう違うのですか。

 

 お盆の起こりについては、釈尊に十大弟子があり、その一人に目犍連という人がいたのですが、この人は神通第一といわれた人であります。この目連尊者が釈尊の弟子となって、六神通を得て、死んだ母の青提女(しょうだいにょ)をたずねると、餓鬼道にいたのです。母は骨と皮ばかりになって、

首は糸のように細く、腹は大海のようにふくれあがり、食物を求めて口をはり、手を合わせて物を乞うありさまは、たとえようのないあわれな姿でありました。

 仏法の本源は、知恩、報恩といって恩を報ずることにあります。まして父母の恩は深遠であります。目連尊者は、あまりの悲しさに神通を現じて。飯をさしあげたが、母が喜んでそれを食べようと口に入れると、飯は火と変わり身を焼かんとしたのです。そこでまた、あわてて神通力によって水をかけると、水はたきぎとなって、ますます身を焼かんとするのです。そこで目連尊者は、自分の神通力ではかなわぬことを知り、釈尊のところへ飛んでゆき、どうしたらよいかを問うたのであります。

 釈尊は「おまえの力では救えない、十方の聖僧を集めてごちそうをうんとしなさい。その功徳がおかあさんのほうへまわっていって、餓鬼道を脱れることができる」と教えました。目連がそのとおりにすると、母は餓鬼道を脱れることができたのであります。

 よく世間でナスやキュウリに箸をさして飾ったりしますが、そんなことで先祖供養ができるわけはありません。聖僧を呼んで供養すべきであります。だが、聖僧といってもいません。真の聖僧は、日蓮正宗の御僧侶のみであります。ところが、こんなにおおぜい呼んで食べていただいたら、財布が下痢をしてしまう。そこで、塔婆供養というのをするのです。

 ところが、これを邪宗でやると、先祖は七転八倒の苦しみをします。これには現証があります。皆さんの子供さんが突然縁側から落ちたり、腹痛を起こすことがあるでしょう。これは一応その子の宿習であるといえますが、この子供たちには前世というものがあります。前世で邪宗の家で死んで、その罪を終わって人天に生まれてきたとすれば、先祖供養だからといって邪宗で塔婆供養をすれば、感応してけがをしたり、電車にはねとばされたりするようなことになるのです。

 聖僧による正しい供養をしてあげれば、その先祖がこの世に生まれてきていれば、思いがけないところで、大金を得たり、もうけたりするようになります。どうせ同じ金をかけて塔婆を立てるなら、得になるほうをやったらどうでしょうか。