戸田城聖全集質問会編 81 御本尊は紙だという人には

 

〔質問〕 折伏をしたら「御本尊などといっても、紙だからだめだ」といわれましたが、どう いう説明をしたらよいでしょうか。

 

 紙ならなんでもよいか、紙にもいろいろあり、チリ紙もあります。それから同じ紙でも、千円札も紙です。それから、裁判所からくる通達も紙です。借金の証文も紙です。紙には力がないというわけにいきますか。そういうふうに、人間社会ができているのです。アメリカと日本とがなにかの条約を結ぶとする、それも紙に写すのでしょう。だから紙というものはこわいのです。

 こんなチリ紙などはこわくありません。鼻をかんでしまえば終わりです。だが、千円札の紙のほうは紙でも違います。たった一枚しかないのをとられては困るから、しまってしまう。だから、紙に書いたものだからこわくないというのは、大きな間違いなのです。卒業証書も紙です。その一枚の紙が就職のときに大きな力になるのではないですか。仏様のお力が現れている紙を、ただの紙たといえますか。それなのに、紙ならだめだとは、どこに証拠があっていう話ですか。そういうことをいっている者が、自分で書いた借金の証文などをつきつけられると、目をパチクリしてしまうのです。紙に字の書いたものはこわいのです。その字の書き方なのです。