戸田城聖全集質問会編 75 ダルマは謗法になるか

 

〔質問〕 謗法払いのことについて、子供がオモチャにしているダルマとか、掛け軸とかというものは謗法になりますか。

 

 そんなのは謗法になりません。おいてもよろしい。ところが、おもしろいのです。信心が深くなってくるとおきたくなくなります。まだ本人の信心が透徹しないで、わからないうちに、謗法払いしろというと怒ってしまうのです。それで御本尊様を返すようになります。だから一応はあずけておくのです。そのうちに事件が起こるというと、さては、これかな、これはあぶない。ということになります。そうしたら自分でやめればいいのです。

 私の家族にこういう事件があります。私の妹がセトモノ屋をやっているのです。私の世話になったというので、それでとってもいいホテイさんをもってきたのです。なかなか叩いたってこわれないのです。そうしたらもらったとたんに、腹痛だが何だかおかしなものを起こしてし まったのです。いいホテイさんです。骨董品としてはいいものです。こわそうとしてもこわれないのです。やきがよくて、とてもいい品物なのです。惜しいなと思ったけれども、どうもこんなものがあったらつごうが悪いと思って、まえのドブヘ捨てておきましたが、だれか拾った人にまことに悪いことをしたと思っております。

 またぼくの友だちに、○○さんという人がいるのです。この人が宮島だかへ行ったときに、竹で作ったダルマを買ってきて飾っておいた。それは、ダルマです。そうしたらいいことがないのです。それで困ってしまった。そして、事業面でその人をさんざん苦しめた男がいるのですが。そのダルマの話を私にしたから、その顔がダルマに似ていないかといったら、そういえばよく似ているというのです。ところで、それは竹で作ってあるからなかなかこわれないのです。どうしたらいいか、というから、南無妙法蓮華経と唱えて、三べんナタでたたいて風呂屋へたいてもらうように、持って行くようにといったのです。そのとおりにしてから具合がいいといっています。

 そういうものだから、最初から、あれもやろう、これもやろう、というと怒ってしまうから、それは随方毘(ずいほうび)()の戒といって、少々仏法に違うようだけれども、その人の信心を助けていくためには仕方がないという戒なのです。この戒だけは許すと日蓮大聖人様がおおせですから、最初そうしておけばいいのです。そうしているあいだはいいことがないですから。それはふびんのようだけれども、しようがありません。

 かえって、そういうことをやれというと、なんでもかんでもみな謗法払いしてしまう。まるでこっちがやったみたいに怒るのです。そして初信の功徳がでて、次にほんとうの功徳がでるまえに、まえのが、またおこってくるのですから、そのときにどうだといってやればいいのです。そうすれば、それではしようがないからやろうと、そのときは怒らなくなるというわけです。