戸田城聖全集質問会編 71 御本尊をいただく当日だめになる

 

〔質問〕 折伏しないと功徳がないというので、折伏しています。ところが、ハンまで押していよいよききつ御授戒という朝になると、その前の晩に夫婦げんかをして、たいていだめになるが、どうしたものでしょう。

 

 とうぜん折伏をしなければ功徳はありません。しかし。いまのような場合は、りっぱに折伏しているのです。功徳はあります。やるやらないはむこうの自由です。なにも、創価学会へ引っぱりこんでしまわなければ、折伏にならないなどと考えなくともよろしい。それは、それで折伏になっているのだから、ハンコ押したといっても、借金のときにハンコを押して払わない人が、たくさんいるではないですか。ましてや、折伏です。次の日になって女房とけんかしてやめたといっても、それでけっこうなのです。そういってやりなさい。ああけっこう、けっこう、と。

 功徳があるのです。どうしても創価学会員にしなければだめだとか、御本尊を持たせなければだめだとかがんばるから、おかしな事件が起きてしまうのです。御本尊様はお見通しです。

われわれにはわかりませんけれども、それがわからないような仏様ではだらしがなさすぎます。あなたの誠意はじゅうぶん御本尊様に通じております。やめたやめないはむこうの勝手ではないですか。そこまでいけばだいじょうぶなのです。ハンコなんか押しても、払わない人がいるのですから。りっぱに折伏したことになっているのだと確信しなさい。

 では、もう一言申し上げます。それは、折伏になっているのです。それを折伏というのです。聞く聞かないはむこうの勝手なのです。日蓮大聖人様が佐渡からお帰りのときに、ある念仏宗の寺にお弟子をやって、「どうせいっても聞くこともあるまい、しかし一応はいってこい」と命じられたと伝えられております。これはりっぱな、日蓮大聖人様の折伏ではないですか。

相手は聞くわけがありません。その寺の前を通るときに一応いわなければ仏の精神に反するから、それでお弟子をやって折伏させたのです。相手は聞きません。それでりっぱな折伏なのです。わかりましたか。ハンコまで押しても御本尊様を返してきたりするのです。すると罰をうけるのです。いやだったらやめなさい、といっておけばいいのです。あとできちんと目がさめます。これは不思議なものです。そう急がなくてもいいのです。