戸田城聖全集質問会編 64 大御本尊の左右にまつられているのは

 

 〔質問〕 奉安殿の(現在は正本堂の)大御本尊様の左と右におまつりしてあるものがあります。あれはなんですか。

 

 あれは猊下のご説法がめんどうなのです。東の方、西の方とおっしゃるのです。そうすると、東、西とおっしゃるとわからなくなってしまうのです。どちらが東で、どちらが南だが、わからないでしょう。

 

 それは、天子南面といいまして、インドと中国と日本と、これはいろいろちがうのです。それで、大御本尊様がここにいらっしゃるとします。そうすると、こう向かっていれば、南に向かっています。南に向かっていれば、どちらが東になりますか。左が東、右が西と、こうなります。天子南面の儀式からご説明あそばされているのです。

 そして、こちらから向かって右にあるのは、日法上人様という方が、大御本尊様をおつくりになった木のはしで、ご彫刻を申し上げて、それを日蓮大聖人様のお姿にきざんだのです。これを御影様、最初の御影様ですから、最初仏様といわれます。

 また、こちらから向かって左側にあらせられるのは、日蓮大聖人様のお骨なのです。身延の山に、お骨があるなどというのはうそです。あるわけがありません。お骨は日興上人様が富士へもっておいでになったのです。あれがほんとうのご真骨です。

 ところで、畑毛というところがあるのです。そこは温泉です。畑毛は日目様がお生まれになったところです。この畑毛に九十二歳で、五十九世の御隠尊猊下(日亨上人)がいま、お住まいでいらっしゃいます。この方は、仏法のことになんでも通達していらっしゃるのです。いま、富士宗学要集という本を作っておられて、今度で九冊目です。ほんとうは、まだあります。百何十帖とあるのです。これは山香房という本屋が少しはもうかるだろうとやった仕事です。私も応援しているけれども、りっぱなものです。あなた方はぜんぶそろえていますか。たった十冊です。おそろえなさい。そしてまた、このあと、まだ百何十冊、これも私の一生の間に作ってさしあげたいと思っています。この猊下が「身延の骨も見た」とおっしゃるのです。

九十二歳になるまでいろいろと研究し、見たりしているので、まったくなんでも知っているのです。だから、どこも日蓮正宗にたいして、いっさい教学的な議論をもちかけないのは、この猊下がいらっしゃるからです。なんでも知っているから、かなわないのです。

 この猊下のお話では、「戸田君、あれは火葬にした骨ではないね、多すぎるよ」身延にある骨があのようすでは多すぎる、あれは火葬にした骨ではないというのです。生(土葬)の骨だというのです。ところがお山のお骨は、ちゃんと火葬にした骨なのです。量は少ないのですがそういうわけなのです。

 堀日亨上人にお会いしますと。とてもおもしろいのです。そしてまた、やかましいのです。

お山にくると、南無妙法蓮華経と唱題して、みんながおがむでしょう。それがうるさいから、「奉安殿のすぐわきからトンネルつくれ」というのです。まことに愉快な猊下であります。そういううるさい方なのです。とてもやかましいのです。おもしろい話を聞かせてあげよう。

 それは、むかし、いまの御書をつくるのに猊下のところへ行ったのです。いろいろの材料がほしいでしょう。だから、堀日亨上人のおそばで手伝っていた御僧侶と奥さんに、カギをわたして、そして「持ってこい」といった。ところが、倉庫があかないのです。倉庫といってもちゃんとしたりっぱな土蔵といったら、たいてい金が入っていると思うでしょうけれど、猊下の土蔵には、本しかないのです。猊下が「あけてあの本を持ってこい」と指示したのです。ところがあかないのです。カギにくせがあって、おじいさんと同じくせがあるのです。「あきません」といったら、いったことばがおもしろい。「石川五右衛門に恥じろ」というのです。石川五右衛門はカギがなくてもあけてはいった。カギがあってもあけられないのは、石川五右衛門に恥ずべきだ。そういうおもしろい猊下なのです。