戸田城聖全集質問会編 54 唱題中の邪念について

 

 〔質問〕唱題中いろいろと邪念がでて困るのですが。

 

 真剣に信心していれば、しだいに御本尊のことだけを考えるようになります。「おどる宗教」で説く無我の境地などというのは、あるはずがありません。自分を忘れたら気違いであります。無常、無我、空は、小乗経の教えであります。宗教は現実生活のうえの利益をめざしたものです。御本尊は主師親の三徳を具備しているがゆえに、真剣に念ずる心(念力)があれば、種々の生活の悩みが解決されるのです。

 観念文の観念とは心に念ずることで、それがきちんと御本尊に映ります。さきほどの質問にあったアル中の夫を総本山に無理してよこした妻は、自分でくるべきです。なぜなら悩むのは妻のほうだからであります。

 いろいろの妄想が浮かぶのは、人間としてあたりまえで、私も唱題中に妻子のことを思うことがあります。信仰が強くなれば御本尊のことのみしか考えなくなります。これを法華三昧と称します。妻の愚痴もこのときは子守歌のように聞かれるのです。