戸田城聖全集質問会編 27 御本尊を不敬した娘を信心させるには

 

 〔質問〕 娘が新聞紙に御本尊様をつつみ火をつけ、御本尊様を少しもやしました。こういう娘を信心させるにはどうしたらよいでしょうか。

 

 親として、この娘をほんとうにかわいがってあげないで、それをぐずぐず、愚痴をこぼすのではありません。あなたは愚痴の多い人間ではないのですか。そうですと子供はいうことをききません。どうもそうなるのは、家庭教育が悪いらしい。

 父親が、子供のことをぐずぐずいう家庭の子は絶対に伸びません。母親が、口やかましいのはいい子ができます。これは不思議なものです。私はこれを十何年間も研究してきました。だから父親というものはぐずぐずいってはいけません。それから継親は絶対子供にぐずぐずいってはいけません。そうでないと子供はひねくれてきます。これは子供の教育の大事なところなのです。

 親が御本尊を信じていて、それで子供が親と同じ心にならないということは、家庭教育がよかったら、こんなばかなことはないのです。子供にとっては、母親ほど好きなものはないのです。また父親のやることが間違ってさえいなければ、子供はかならずいうことをきくようになるのです。これは大事な要です。こんな愚痴を、こんな他人のなかでこぼさなければならないのは、私は、家庭教育がよくないと思う。そう断じます。

 ほんとうにその娘をかわいがって、その娘のために母親がやさしい心でもって泣いて指導していたら、子供がいうことをきかないわけはありません。親の慈悲には勝てません。ですから、そうなるのも子供が悪いのではありません。親が悪いのです。よく調べてごらんなさい。

夫婦げんかなんかしても、夫が悪いのではないのです。女房が悪いのです。女房が悪いのではない。夫が悪いのです。両方悪いからそうなってしまうのです。

 

 そこで、いまのようなことについて夫婦げんかの原理を考えてみると、夫婦が同じような境地にいるからけんかをするのです。まさか、私が、この野郎一番やるかなんて、三つか四つの子供とけんかするわけがないでしょう。

 ところが、としごろが同じだとかならずけんかするのです。ですから夫の信心が伸びて、ある境地へくれば、けっしてけんかはしなくなります。また女房のほうがある境地まできてしまえば夫をいとおしがるのです。

 浪花節にイザリ勝五郎というのがあるでしょう。車へのせて奥さんがひっぱって「勝五郎さん、勝五郎さん」と、ああなるとまた夫婦げんかはないのです。

 これは自分の境地を開く以外にないのです。いやなおやじだなどと思っているから、いつまでたっても境地が開けないのです。うちのおとうさん、よくかせいでくるなと思えば、それでいいのです。

 ただし金をもってこないおとうさんは、うんとおこってやらねばだめです。追い出したほうが早い。このなかに金をもってこないおとうさんがいたら、あすあたり追い出されるから、よくご祈念して帰ったほうがいいでしょう。