戸田城聖全集質問会編 14 総本山の御本尊について

 

 質問 総本山へ行ったら御本尊様がたくさんあって拝むのがいやになったという人に、わかりやすく指導してください。

 

総本山にきたら本家ですから、御本尊様はたくさんあるにきまっているではないですか。総本山になかったらおかしなものです。それは、あるのがあたりまえで、ないのがおかしいのです。みなさんのところにはそれぞれ御本尊様があるでしょう。あっちへいってる御本尊様があり、こっちへいってもあり、それで拝むのがいやになったと文句をいっても始まりません。

それは、根本は、源はなんといっても奉安殿の(現在は正本堂の)大御本尊様です。源があればかならず流れがあるように、それから流れている水がいろいろな御本尊様なのです。奉安殿に一閻浮提総与の大御本尊様があるし、その御本尊様と同じお姿の御本尊様があなた方のまえの、私がさっき拝んだ客殿の御本尊様です。客殿の御本尊は、日興上人様がお顕しになったのですが、すごい御本尊様です。

日蓮大聖人様は、本尊流布ということをお考えになっていらっしゃった。だが、時機の問題で実行できかねておられたのです。そうしたところが、その後を継いだ興師様が、この御開山様が、ご遺志をついで御本尊様をぜんぶの者におわたしになった。ですから私は泣けてたまらないことがあるのです。

いまから三年前か五年前か忘れましたけれども、お虫払い法要の時に、御開山日興上人の御直筆の御本尊をぜんぶ見せてくださるが、そのなかに御筆止(おふでどめ)御本尊という御本尊様があります。もったいないけれども、その御本尊様のお文字が細く、枯れてしまっているのです。そこまで生命を打ち込んで御本尊様をお顕しになったのです。だから、たくさんあるにきまっているではないですか。なかったらおかしいのです。本山だの本店には、むかしからなんでもあることになっているのです。