戸田城聖全集質問会編 3 南無妙法蓮華経とは

 

質問 「南無妙法蓮華経」とは、どのような意味があるのでしょうか。

 

 南無とは帰命、すなわち妙法蓮華経に絶対にしたがうという意味です。妙法とは、われわれ人間の智ではかりしれぬ不思議な法であり、蓮華の法であります。われわれは泥沼にいるのです。泥沼から咲く花は美しい、華と果が功徳となって現れる、これが因果倶時であります。経とはわれわれがありがたいと思うことです。これ自体が、われわれの運命を支配するのです。

 

 別な立場からこれを拝せば、無作三身如来すなわち根本の仏様であり、永遠に不変の仏の御名をいいます。末法にはいっては日蓮大聖人様であり、日蓮大聖人様御自身所有の、久遠元初のありのままの生命と力とを、大御本尊様にしたためられたのが、法本尊即日蓮大聖人様、人本尊です。すなわち人法一箇であります。

 

 われわれが信心すれば、日蓮大聖人様の所有の根本の力が、われわれの生命に感応して湧いてくるのです。われわれもやはり、ありのままの永遠真如の自分にかわるのです。これが「南無妙法蓮華経」の実体であります。

 

 さらに、私の体験から話をします。

 いまから十年前に、「仏とは何であろうか、いるのか、いないのか」と考え。仏教書を読んだがわからず、無量義経につきあたりました。それには「其の身は有に非ず亦無に非ず……紅に非ず()種種(しゅじゅ)の色に非ず」(無量義経徳行品第一)とあり、真剣に悩み考えたすえ「仏とは生命なり」と考えが開けました。そして十界論から南無妙法蓮華経と仏とはいかなる関係かを悩んだすえ、仏の名であることがわかったのです。あらゆる人の宿命を、転換しうる力を備えられた久遠元初の、宇宙の根本の力、最高の仏と気づき、これよりあらゆる仏典が読めるようになりました。

 

 宇宙の現象は、みな妙法蓮華経の活動であります。妙法とは一応われわれの心であり、蓮華とは体のこと、泥沼より清浄な開花をみせる蓮のごとく、欲ばり、ひねくれた根性で、泥中にいるような者も、蓮華の清浄さをたもつ体になれるのです。経とは心と体の働きをいいます。

 

 さらに、貧乏人が金持ちになるように奇蹟のような、説明のつかぬ現象が起こる、これを「南無妙法蓮華経」の実体であります。