家庭を考える〈妙荘厳王の話〉

父王の前で神通変化を現じた二人の王子

 法華経は、全部で二十八章から成っていますが、その終わりから二番目の章に、妙荘厳王(みょうそうごんのう)という一人の王にまつわる話が出ています。正式には、「妙荘厳王本事品(ほんじぼん)」と呼ばれているものです。

 およそ、次のような話です。

 はるかな往古に仏がいた。その名を雲雷音宿王華智仏(うんらいおんしゅくおうけちぶつ)といい、その国を光明荘厳(こうみょうしょうごん)といった。

 この仏のいた時代に、一人の王がいて、妙荘厳王といった。この王には、浄徳(じょうとく)という夫人と、浄蔵(じょうぞう)浄眼(じょうげん)という二人の息子がいた。この二人の息子は、長い間、菩薩の修行に励み、大いなる神力と福徳、秀でた知恵とを体得していた。あるときは布施を行じ、ある時は禅定(ぜんじょう)を修するというように、各種の修行や三昧(さんまい)に通達していた。

 ときに、その仏は、妙荘厳王を仏道に引導してあげたいと思い、また多くの迷える人々を(あわ)れんで、法華経を説いたのだった。これを知った浄蔵・浄眼の二人は、母のもとに行き、手を合わせて願った。

「願わくば、母上、雲雷音宿王華智仏(うんらいおんしゅくおうけちぶつ)のところヘ、ご参詣(さんけい)ください。私たちも一緒にお供して、仏さまに親近(しんごん)し、供養し、礼拝(らいはい)したいと思います。仏さまは、いま、多くの人々のために法華経を説いておられるということです。聞きにまいりましょう」

 すると、母は息子たちに言うのだった。

「おまえたちの父上は、外道を信じており、深く婆羅門の法に熱中しています。あなたがた二人で、お父さんのもとに行き、そのことを話して一緒に誘ってあげなさい」

 浄蔵・浄眼は手を合わせて、母に言うのだった。

「私たちは法王ともいうべき仏さまの弟子になっているのに、どうしてこのような邪道の家に生まれてしまったのでしょう」

 母は一計を案じて、息子たちに語った。

「あなたたちが、父上のことを悲しく思うならば、神通変化(じんつうへんげ)を父上の前で現じて見せてごらんなさい。もし、ごらんになれば、父上の心も清浄になり、あるいは、私たちが仏のもとへ行くことを賛同してくださるかもしれませんよ」

 そこで二人の息子は、父を深く思う心から、空中に躍りあがると、さまざまな神変を現じた。

 空中を行くかと思えば、とどまり、すわるかと思えば、()すといったように。身の上から水を出すかと思えば、身の下から火を出し、次は逆に、身の下から水を出すかと思えば、身の上から火を出すといったぐあいに。

 そうかと思えば、大きな身体となって大空に満ちるばかりになり、と思ったら、また小さくなり、小さくなったと思ったら大きくなる。そして、空中から消えてしまったかと思うと、突如、大地の上に現われ、水のように大地に入ってしまったかと思えば、今度は、大地を歩くような調子で水の上を歩いている、といったようすであった。このような種々の神通変化を(げん)ずることによって、父王の心を浄め、仏を信じさせようとしたのであった。

 父は息子たちの、まったく素晴らしい神通力に驚嘆し、いまだかつてないほど大喜びを示した。

「おまえたちの師匠は、いったい誰なのか、誰の弟子になったのか」

「父上、かの雲雷音宿王華智仏が、七宝菩提樹(しっぽうぼだいじゅ)の下の法座の上にいらっしゃって、一切世間の大衆のために、広く法華経を説いておられます。その方こそ、私たちの師匠です。私たちは、その仏さまの弟子なのです」

「わしは、おまえたちの師匠に会いたくなった。一緒に連れていってはくれまいか」

 

そろって出家した国王一家

 そこで、二人の息子は空中から降りると、母のところに行って、合掌して話すのだった。

「父王が今、私たちの心を理解してくださって、無上の正しい道を求める心を起こされています。私たちは父上のために仏道を求めようと思います。どうか母上、私たちが、仏さまのもとで出家して修行の道に入ることをお許しください」

 二人は、重ねてその志を述べようと思い、母に詩を捧げて願った。

  母よわれらを願わくば

  出家沙門(しゃもん)となしたまえ

  諸仏に値うは稀なれば

  仏につかえて学びなん

  かの優曇華(うどんげ)の花よりも

  仏に値うは難しという

  世の諸難はのがれ難し

  出家の願い許したまえ

 これを聞くと、母はうなずいた。ここで二人の子どもは次のように父母に語るのであった。

「ああ、なんと喜ばしいことでしょう。父上、母上、それでは雲雷音宿王華智仏のもとに参詣して、親しくご供養をしてください。なぜならば、仏に巡り会うことほど、むずかしいことはないからです。かの三千年に一度咲くという優曇華(うどんげ)の花のように、あるいは一眼の亀が浮木の穴にあうことのように、それはむずかしいからです。

 ところが、私たちは過去世からの福運に満ちた因縁が深かったために、仏法に巡り会える時代に生まれることができました。そして、父上、母上のお許しを得て、出家することもできたのです。諸仏にお会いすることはむずかしく、法華経の説かれる時に出会うことも、またむずかしい」

 このようにして妙荘厳王は群臣を引きつれて、浄徳夫人は女官たちとともに、そして二人の王子も多くの人々をともなって仏のもとに行くことができた。すると仏は、王のために法を説き、王は歓喜して多くの供養を捧げた。

 そこで雲雷音宿王華智仏は、人々に向かって言うのであった。

「みなさん、この妙荘厳王が、私の前で合掌しているのを見ることができるでしょう。この王はやがて、私の説く仏法によって、比丘(びく)となり、仏道修行に励んで、成仏することができるでしょう。その時の名を娑羅樹王(しゃらじゅおう)と号し、国を大光(だいこう)といい、(ごう)大高王(だいこうおう)というはずです。その娑羅樹王仏のもとに、無量の菩薩たちや声聞が集まり、その国は平等で正しく治められるでしょう。この供養の功徳は、このように偉大なものであるのです」

 王は即時に、国を弟に譲り、王と夫人と二人の息子と、その多くの眷属(けんぞく)とが、仏法を求めて出家し、修行の道に入った。王は出家してから、八万四千歳という永い間、つねに精進して妙法蓮華経を修行し、清浄な功徳に満ちあふれることができたのである。

 そして、次のように仏にその喜びを語った。

「この私の二人の子どもは、すでに仏道を修していて、神通変化をもって、私の邪心を転じ、仏法に帰依させ、仏にお会いすることができた。この二人の子は、わが善知識である。私を導くために、わが家に生まれてきたのです」

 仏もまた、「あなたの言うとおりだ。善知識は、人を導いて仏道を求める心を起こさせる。二人の子どもは、すでに数多くの仏を供養し、諸仏のところで法華経を受持してきた者である」と述べたのです。

 この妙荘厳王とは、今の華徳(けとく)菩薩です。浄徳夫人とは、妙音(みょうおん)菩薩、二人の息子の浄蔵、浄眼は、薬王(やくおう)菩薩と薬上(やくじょう)菩薩です。

 大要、以上のような説法が行なわれたのです。

 じつは、この話には、もう一つの裏があります。裏があるというのも、変な言い方ですが、この四人には、次のような過去世の因縁があるということになっています。

 昔、仏道を求める四人の道士がいたが、修行をやりやすくするために、一人が炊事、雑用などの陰の働きをし、他の三人は、そうした雑事に煩わされず、仏道修行に専念した。その三人は仏道を得たが、残る一人は修行をしなかったので、仏道を得ることができなかった。しかし、陰の力の功徳により、つねに国王に生まれることができ、それが妙荘厳王に生まれ、他の三人が、浄徳夫人、浄蔵、浄眼に生まれて、王を仏道に導き、過去世の恩を返した、というものなのです。

 

妙荘厳王一家は現代の家庭像でもある

 ところで、なぜこのような故事が、法華経のなかに織り込まれているのか。いったい、これによって何を教えようとしているのか ― 。

 法華経の偉大さを教え、この経を弘める人 ― これを善知識といっているのですが ― の使命を訴え、その功徳を教えているのだと、文面に沿った、ひととおりの説明はつきます。また、ここに登場する四人が、過去世に、ともに仏道修行する仲間であったという裏話は、陰で修行を助ける人も、等しく報われるという一種の平等観として受けとれるかもしれません。

 しかし、ここでは、もう少し異なった角度から見てみたいと、私は思います

 なぜ、仏の教えを信仰していないのが、父・妙荘厳王なのか教化の主役を演ずるのが息子たちなのか、と考えてみたいのです。ここに、一つの家庭のなかにおける、父と母、そして子ども、それぞれの物の見方と立場の違いが、象徴的に描かれているとみるのも、一つの見方ではないでしょうか。そこに、法華経の人間観察の鋭さを、私はみます。   

 一般的に、父親というものは、いわば一家においては、旧世代の象徴です。古い観念のなかに縛られがちで、どうしても固定化した考え方に捉われやすい。

 その対極にあるのが、子どもです。子どもというものは、時代・社会の最先端を見つめている。古い観念や慣習に捉われない新鮮な目をもっています。

 したがって、こうした父と子の間で、新旧の対立、相剋が生まれるのは自然であり、避けがたいものがある、といえます。

 そのさい、母親の存在が、重要な意味を帯びてくる。たいていの場合、母親は、両者の中間に位置する場合が多いものです。父に与するでもなく、また子どもの考えにそのまま従うということも少ない。母親は、つねに家庭の平和を願い、その原点に立って行動するからです。つまり、もっとも現実的な立場から、ものを見、対処していく賢明な生活の知恵をもつのが、母親といえましょう。

 こうして考えてみると、妙荘厳王品に登場する四人の姿は、そのまま、この現代の家庭像に、その父と母、子どもたちの姿に似ているようです。家庭像は、昔と現代では、相当変わっていると思うのに、その真実なものは、変わらないことがわかります。

 ところで浄蔵・浄眼の二人の息子は、そうではなかった。仏の真実の教えを父に示しますが、それは、たんなる言葉による説法ではありません。種々の神変によって示したということは、口先の論議ではなく、その真実の教えを自らの生命の輝きとして、その振舞いのうえに表わして、その実証を示したということです。

 私もかつて、神変などと、ずいぶん迷信的だな、などと思ったことがありますが、それはあくまでも譬喩であり、仏法はそれを通じて、何ものかを説こうとしていることがわかりました。このことを池田会長は、一言のもとに「自身の変革ということだ」と教えてくれたことがありました。

 つまり、二人の浄らかな生命の輝きが、妙荘厳王の命を浄めたのです。

 いかなる雄弁な理論・論議より、一つの確かな実証に勝るものはありません。その真実の前には、いかに頑固な父親も勝てないはずです。親子の口論の前に、この"論より証拠"をすすめたいと思います。地についた主張であり、それが自らの人間的な成長の源泉となる思想ならば、必ず、いつか、相手も認める日がくるにちがいありません。生命の触れ合いのなかで、おのずと相手を感応していけるようなものこそ、本物ではないでしょうか。

 また、次のような見方も、できるのではないかと思うのです。家庭の変革こそ、一切の変革の原点であるということです。

 どのような革命の思想・実践も、それが真実に新しい歴史を創造していくものであるならば、その変革の息吹きと、新旧の思想の相剋は、まず、家庭という、もっとも身近な世界に現われてくるにちがいない。家庭こそ、もっとも小さな社会の縮図だからです。

 一個の人間や、一個の家庭を素通りした社会革命の思想は、しょせん、根源的な革命とは言いがたい。革命が根源的であればあるほど、この社会をつくっている基幹である、人間、家庭にこそ、その新しい波のうねりが現われるはずです。いや、もっと正確にいえば、その基底部から、まず変革を起こさなければならないのです。

 世の中が平和で幸福であるかどうか、その指標もまず、もっとも身近な生活の場である家庭にあるといえます。

 ゲーテに、「王様であろうと、百姓であろうと、自己の家庭で平和を見いだす者が、いちばん幸福な人間である」という言葉があります。じつに、真実を衝いている、と思えてなりません。

 幸福と平和の原点は、家庭にあることを忘れてはならないでしょう。これは、あまりにも当然すぎることですが ― 。いま一度、"わが家"を見つめ直す必要はないでしょうか。