現実を変革する哲理〈娑婆即寂光土〉

七日七晩苦しんだ念仏の開祖・善導

 私は子どものころ夕日を眺めるのが好きでした。四方が山に囲まれた氷川の地にいた時、山の端に沈む大きな赤い夕日を、飽くことなく見つめ、西のほうになにか素晴らしい世界があるかのように夢想もしたものです。絵を描くのが趣味だったこともあって、そのような絵を描いたこともしばしばでした。

 もちろん、地球は丸いのですから、西のほうへいくら行っても、そのような理想郷があるわけもありません。しかし、上空の雲まで真っ赤に染めなす夕日は、たしかに少年の夢心をかきたてるに十分でした。

 ところで、地球が丸いということを、大部分の昔の人は知らなかったのはいうまでもありません。西にまっすぐどこまでも進めば、また元に戻ってくるなど、コぺルニクス以前は考えたこともなかったのでしょう。その人々が、夕日を見てどう思ったかということは、また別の意味で興味があります。

 阿弥陀経といえば、仏教経典のなかでも有名なものの一つですが、そこでは西方十万億土の極楽浄土が説き示されています。西方には阿弥陀仏の住む浄土があり、そこでは空中に音楽が聞こえ、道は黄金でできており、そこに住んでいるのは、修行の妨げになる女性は一人もいず、男性ばかりで ― これは私がいうのではなく経文に説かれていることで、私はいささかもそんな偏見はもっておりませんから、念のため。むしろ私は、そんな所には行きたくありません ― 最高の桃源郷であるというのです。阿弥陀仏の名前を唱えていれば、死後には必ずその極楽浄土ヘ行けるというのが阿弥陀経の教えですが、これは、昔の人々にはかなりの説得力があったと思われるのです。

 というのは、その一つとして、やはり冒頭に述ベた夕日の力があずかっているのではないかということです。地球を平面と思っている人々にとっては、そして一つのところに縛りつけられて暮らし、離れたところへ旅行などおそらくしなかっただろう人々にとっては、毎日、天空を赤く染めて沈む夕日を見るたび、西の方角に素晴らしい世界があるのではないか、と思ったにちがいないと思うのです。

 日々の暮らしにあえぐ庶民にとっては、阿弥陀経のこの教えは、まさに溺れそうになったときに見つけた船以上の力があったのでしょう。

 日本の歴史をみてみますと、ちょうど武士が台頭して、戦国時代に入ろうとしているころですが ― おもしろいことに、経典によると、そのころが末法、釈尊の仏教の力が衰えてくる時代であるということになります ― そのころ念仏が流行し、その教えを信じた人々が、来世に極楽浄土に生まれることを願って、続々と自殺したことが記録に残されています。念仏を始めたといわれる中国の善導自身が、極楽浄土に生まれる実証を示そうとして、自ら柳の枝から飛び降りて自殺を図り、失敗して七日七晩苦しんで死んだ、といわれています。

 

娑婆とは堪忍(かんにん)()(しの)ぶことだが……

 念仏のこの教えは「厭離(えんり)穢土(えど)欣求(ごんぐ)浄土(じょうど)」(この世は(きたな)い世界でそれをきらい、浄土を求める)の思想として有名ですが、他の経典も、大なり小なりそのような考え方を含んでいます。たとえば薬師如来は東方の浄瑠璃(じょうるり)世界(浄らかで瑠璃という宝がちりばめられた世界)に住んでいる仏として説かれていますが、これなども、阿弥陀のデンで考えると、朝日を象徴しているのかもしれません。

 夕日の阿弥陀のほうが有名になったのは、夕日だと皆が目を覚ましているからで、朝日のほうはまだ起きていないからではないかなどと、下司のカングリみたいなものをはたらかせたこともありますが、いずれにしても、この世界は苦しみ、悩みが渦巻く世界であり、仏は他の国土に住んでいるという考え方が強かったのです。

 娑婆世界とは、この現実世界をいうのですが、娑婆とは堪忍=堪え忍ぶ=ということです。今では刑務所を出所するときなどに用いられているようですが、もともとは、さまざまな束縛の多い、この現実社会を表わした言葉であるわけです。

 とくに庶民が、権力者に、地位、財産を専有されていただけでなく、個人の自由、さらには生命さえも奪われることが日常茶飯事であった時代にあっては、堪忍世界であるという表現は、切実なものとして受けとられたでしょう。

 

人間革命に必要な二つの作業段階

 ところが、法華経の如来(にょらい)寿量品(じゅりょうぼん)16、この章は仏の生命について説かれる、法華経の中でももっとも重要な章ですが、そこでは仏(釈迦)は、この娑婆世界において説法(せっぽう)教化(きょうけ)してきたのだ、と説くのです。これは、まことに爆弾宣言とでもいうべきもので、釈迦の跡継ぎとさえいわれた弥勒菩薩(みろくぼさつ)までもが、驚天動地の体で聞くわけですが、人々が苦しく、もうこの世の終わりではないかと思っているこの世界が、じつは仏の住む、仏の哲理が支配する寂光土なのだというわけなのです。

 仏はここで、苦しい娑婆世界に勇気をもって挑戦すべきことを説いているようです。考えてみれば、仏が西方の極楽浄土を説いたのも、現実の社会の現象に目を奪われて人生の意味を見つめようとしない人々に、仏教への目を開かせようとした一つの「寓話(ぐうわ)」であり、 「手段」であったのではないかとさえ思えるのです。そうして仏教への目を開かせたうえで、今度は、仏教の哲理をもって勇気を奮い起こして、現実の人生と取り組むことを教えたと思われます。

 私は、人間革命という作業は、二つの段階を必要とすると思っております。一つは日常性に埋没する自己を脱却して、人生の真実の意味を求める作業であり、次の段階は、そこで得た悟りをもってふたたび現実の人生に戻り、そこで変革の作業に取り組むということです

 日常性に埋没するのみの低い人生観を打ち破るという意義を、阿弥陀経などはもっていたのであり、法華経の娑婆世界説法教化の原理は、第二の段階を示しているものだ、と言えるように思うのです。

「地涌の菩薩」のところで述べましたが、法華経では、この二つのことを「蓮」の花で巧みに譬えております。ハスの花は、私も上野の不忍池などで見ましたが、美しいものです。しかし、その花も泥に満ちた池の中でこそ咲くものです。その泥の中から咲きながら、しかも、その泥に染まらない花だというのです。これは現実社会とまったく関わろうとしない浮き上がった、指導者然とした人間を意味するのでもなく、また、いたずらに世間に迎合して、自らの節を曲げて平然とする人間を意味するものでもありません。自らの悟りの花を、社会の泥の中で開かせていく努力と姿勢を説いているのです。蓮には、この「於泥不染」(泥にあって染まらず)の徳があるというわけです。

 

大乗仏法は、生きて生きぬく教えである

 よく宗教といえば、心の内面の世界を充実させることに本義があるのであって、現世のことを説くのは誤りである、という考え方がなされているようです。しかし、宗教とは、いわば人生の生き方を説くものである以上、それが心の世界にとどまって、人生に影響を与えないものであることのほうが、本来の意義を失うものであるわけです。したがって、現実社会のさまざまな制約と取り組み、それをどう打開していくかに心を砕いてこそ、また、自らをどれだけその力ある存在にしていくかにこそ、宗教者の本来の立場があるように思えてなりません。

 大乗仏法は、生きて生きぬくことを教えています。仏法は死ヘの準備の教えではなく、死ぬことさえ許されぬ人々にも、希望と勇気と生命力を与え、沸きたたせていくものです。

「諸行無常」については前にも触れましたが、万物はみな流転するものであり、常住(不変)たることはありえない、という考え方ですこれは、人間の生命をはじめとして、一切の現象はすべて移りゆくものであるから、その無常を見つめて、さまざまな執着を捨てよ、ということを教えたものです。『平家物語』などを見ますと、その諦観主義が、たまらない調子で、栄枯盛衰の物語の背景を形成しているようです。

 しかし、諸行無常のいわんとするところは、表面上のあらゆる現象というものは、流転を免れないのであり、それに目を奪われて執着してはならない、ということであって、その内奥に流れる常住の法を探し求めよ、しかして、その法をもって現実の人生を処せ、ということを教えようとしているものなのです。

 これは、娑婆世界説法教化につながる思想であるわけですが、そういう意味からすれば、法華経は、とてつもなく強い勇気をもって、ものごとを直視することを教えた思想だ、ということになります。

 現実生活は、なるほど娑婆=堪忍であって苦しい。しかも、変転きわまりないものである。その現実を見つめるのは、つらく勇気のいる行為でしょう。そこから逃避できるなら、どれだけ楽かしれない。しかも、内面の心の安定だけを求めるなら、どれだけ楽かしれないことです。

 しかし、その堪忍世界の現実を明らかに見つめ、その奥に流れる法=法華経=をもって、現実社会を変革せねばならないことを要求するわけです。

 私は、宗教が現代社会に力を失い、色あせた存在になった理由の一つは、宗教が現実社会と取り組むことを恐れ、いたずらにドグマ化し、民衆、社会から遊離したところにあると思っています。人間が人間であろうとするかぎり、それは、人生、生命の「意味」を知ろうとすることであろうと思いますが、そうであるかぎり、宗教はなくならない。というより、迷信はなくなっても、真実の宗教はますます光り輝くものだ、という確信を持っております。