第二章 生命の宝のありかを求めて
法華経の読み方
今まで私は、法華経についてのあらましについて述べてきましたが、実際問題として、読者の方は、法華経と聞いても、いったい、どういうものか、自分の実感として理解しにくいと思います。
したがって、私が、どんなに、法華経に、混迷する現代を開くカギがあるといっても、具体的にわからない面があることでしょう。
そこで、私は、法華経を理解するうえで、もっともあなたにわかりやすいと考えられるもの、しかも、魅力的なものを、と考えて、法華経の中から、幾つかを選んで、私の体験を含めつつ述べることにいたしました。
また、たんにわかりやすい、入りやすいというものだけでなく、これを読んでいただければ、ほとんどのエッセンスは含まれております。
あなたは、きっと、漠然とながら、法華経というものが、あらゆる人々が、成仏できるという平等の法である、といったイメージがあると思います。じつは、このイメージがあるとすれば、これはまったく正しいものであり、法華経のすぐ近くにまで来ているのです。あらためて、構えて、これから法華経をやるぞ、といったギスギスした考え方をもつ必要はありません。もう、法華経は目の前にあるのです。
そこで、私としては、あなたのそうしたイメージを、さらに法華経に入っていくバネとするにふさわしいものを、と考えたのです。
これから、多宝の塔が涌現するという宝塔品とか、羊と鹿と牛の譬えで示される開三顕一とか、大地からたくさんの菩薩たちが現われてくる涌出品の内容、また、寿量品の永遠の生命、さらに、法華経の功徳とか、神力品の内容など、どれ一つとっても、法華経を学ぶうえで不可欠のものばかりです。この基礎を知っていただければ、あなたは、ここから法華経の珠玉の原理を応用し、展開することができることと思います。