戸田城聖先生の巻頭言集 62 王仏冥合論 五、実践活動の先例

 

 世界人類の幸福のために、先哲は種々なる試みを行なっている。とりわけ、政治においては、マルクス、エンゲルスの共産主義の原理たるマルクス哲学、また資本主義においては、利潤追求の原理たるアダム・スミスとか、リカードとかの思想が、根本問題となって発展されている。これが、世界的な問題なるがゆえに、日本民族としても、東洋民衆としても、なんらの疑いをも、さしはさまない。

 しかし、吾人が、わずかばかりの仏法哲学の研究により、日本に同じく民衆救済の政治的論拠をもたれている日蓮大聖人に接して、その偉大な確信にふれたのである。それは、正しき仏法をもって政治の根幹となすべし、ということである。これを、マルクス及び資本論の先哲と比較して、世間は上下を論ずるかもしれないが、少なくとも、もし、これらの先哲が、日蓮大聖人と会見するときがあったなら、必ずや、日蓮大聖人の意見に服するものと信ずるものである。

 いま、日蓮大聖人の政治論、それを伝承した正統学派である日蓮正宗の先哲の行為を、ここに示しておきたいと思う。

 

   第一章 日蓮大聖人の実践活助

 立正安国論は、正嘉元年(西暦一二五七年)の大地震を始めとして、当時、民衆を苦しめた飢饉、疫癘を中心として十分に思索あそばされたものである。この民衆塗炭の苦しみは、ことごとく、破仏法たる邪宗教より生じていることを主張してやまなかったのである。

 ゆえに、正しき仏法をもって政治の根幹となすべしとて、文応元年に、時の執権・北条時頼に諫言したのが第一回である。いうまでもなく、政治というものは非常に複雑多岐なものであって、そのころの世情を推察するに、宗教が非常に力をもっており、かつまた、幕府の要路者(ようろしゃ)が、それぞれの利害得失にとらわれているために、あの聡明な時頼にすら、それを実行にうつすことはできなかった。しかも、この強力な日蓮大聖人のご精神に対する各僧侶の反対は、民衆をひきずることになって、そこに迫害の一因をつくったのである。しかし、日蓮大聖人におかれては、何ら恐るるところなく、文永五年に、豪古国よりの牒状あると聞いて、幕府の要職に再考をうながした文献は次の通りである。

 

 宿屋入道への御状(御書全集一六九㌻)

  其の後は書・絶えて申さず不審極り無く候、(そもそも)(いぬ)る正嘉元年(丁巳(ひのとみ))八月二十三日戌亥(いぬい)の刻の大地震、日蓮諸経を引いて之を勘えたるに念仏宗と禅宗等とを御帰依有るが故に日本守護の諸大善神瞋恚(しんに)()して起す所の災なり、若し此れを対治(たいじ)無くんば他国の為に此の国も破らる可きの(よし)勘文(かんもん)一通之を撰し正元二年(庚申(かのえさる))七月十六日御辺に付け奉って故最明寺入道殿へ之を進覧す、其の後九箇年を経て今年大豪古国より牒状之有る由・風聞す等云云、経文の如くんば彼の国より此の国を責めん事必定なり、而るに日本国の中には日蓮一人(まさ)に彼の西戎(さいじゅう)調伏(ちょうぶく)するの人たる可しと兼て之を知り論文(ろんもん)に之を(かんが)う、君の為・国の為・神の為・仏の為・内奏(ないそう)を経らる可きか、委細(いさい)の旨は見参(げんざん)()げて申す可く候、恐恐謹言。

   文永五年八月二十一日                日 蓮 花 押

  宿屋左衛門入道殿

 

『其の後は書絶えて申さず不審極りなく候』とは、これほど重大な問題に対して、政府の要職としての怠慢を、おしかりになったお心持ちが深く察せられる。

 また『日蓮諸経を引いて之を勘えたるに念仏宗と禅宗等とを御帰依有るが故に日本守護の諸大善神瞋恚(しんに)()して起す所の災なり』とは、いかに、邪宗が民衆の不幸をもたらすかを、強く主張せられたおことばである。邪宗とは、時にはずれた仏法をさし、時代の進展に何ら益しないものをいうのである。

『若し此れを対治無くんば他国のために此の国を破らる可き』とは、対治するものは王法であり、対治する原理は正しき仏法である。これ王仏冥合論の原理を、はっきり、おおせられているではないか。

『彼の国より此の国を責めん事必定なり』とのおことばは、現代の日本国に照らして(つつ)しむべし恐るべし。大聖の慈悲、七百年後にたれていることを深く思うべし。

『而るに日本国の中には日蓮一人当に西戎(さいじゅう)を調伏するの人たる可しと兼ねて之を知り論文に之を勘う』とは、政治原論に対する確信、いかに強烈であったかということが、うかがわれるではないか。しかも、ご自身の仏法における権力の偉大を明かしたものである。ここにまた、王仏冥合の精神が躍動していると見ないものがあろうか。

『君の為・国の為・神の為・仏の為・内奏を経らる可きか、委細の旨は見参を遂げて申す可く候』と、このご一言、利己を捨て、生命も考えず、国を思うの熱情、民衆をあわれむ慈悲の広大、いまの政治家・評論家・宗教家と称するもの、何の顔あって大聖人に会いうるものであろうか。

                          (昭和三十一年十二月一日)