戸田城聖先生の巻頭言集 58 王仏冥合論 一、総じて王仏冥合を論ず
このたびの参議院選挙戦では、大いに社会の注目をひいた。宗教団体であるわが学会人のなかから、政治家をだすのかということについて、内外ともに、いろいろの議論がでている。
たとえば、日蓮正宗を国教にするとか、また何十年後には、衆参両院の議席を学会人で占めるとか、または、創価学会が日本の政治をとるとかいう、あらゆる妄説が唱えられている現状である。
しかし、われらが政治に関心をもつゆえんは、三大秘法の南無妙法蓮華経の広宣流布にある。すなわち、国立戒壇の建立だけが目的なのである。ゆえに政治に対しては、三大秘法禀承事における戒壇論が、日蓮大聖人の至上命令であると、われわれは確信するものである。
三大秘法稟承事(御書全集一〇二二㌻)にいわく、
『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり、三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり』
以上の御書を分析すると、
1、戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して(総じての王仏冥合論)
2、王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて(人法論)
3、有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時(時を論ず)
4、勅宣並に御教書を申し下して(国立戒壇論)
5、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か(所を論ず)
6、時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり(未来への付属論)
7,三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下して蹋み給うべき戒壇なり(国立戒壇の功徳即一国の平和論)
一、総じて王仏冥合を論ず
王法と仏法とが冥合すべきである。王法とは一国の政治、仏法とは一国の宗教を意味する。宗教が混乱するときには、国の政治も混乱する。
むかしを振りかえってみても、王法と仏法とが冥合している場合が多い。広く世界を眺めてみても、王仏冥合の傾向が顕著にある。民度の低かったときには、小乗経の戒律が必要であった。されば、釈迦滅後五百年間の解脱堅固時代といわれるときには、小乗経と一国の政治とがマッチして平和が保たれたのである。次の釈迦滅後五百年以後一千年までの間、禅定堅固といわれる時代には、権大乗経が仏教の中心となり、政治は、これに冥合したのである。
ただ一言、ここにおいて述べておかなければならぬ問題がある。釈迦滅後五百年間は小乗経で王仏冥合し、後の五百年間は権大乗経で王仏冥合したというのは、最高の文化国家を代表として説かれたのである。最高の文化国家は最高の宗教を要求する。
世界全体が、一度に最高の文化国家なりえないことは、現代の世界をみてもわかる。
そのように、釈迦滅後千年間権大乗経の流布した最高文化国は別にして、後進国たる文化の低い国においては、小乗経を唯一の国教としたところもある。また、たとえば、チベットには、はじめ仏教がなかった。それで、中国では、像法時代の法華迹門という最高の仏教があったにかかわらず、チベットでは、同じ時代に方等般若部の仏法が行なわれて、チベット国家の政治と仏法とがマッチして、文化の交流が行なわれ、平和な文化国家が作りあげられたではないか。
(昭和三十一年八月一日)