戸田城聖先生の巻頭言集 26 寿量品について

 

 寿量品において『譬(ひ)如(によ)良(ろう)医(い)』とは、久遠元初の自(じ)受(じゆ)用(ゆう)身(しん)、無(む)作(さ)三(さん)身(じん)の如来、また、南無妙法蓮華経仏とも申しあげる。『是時其父還来帰家(ぜじごぶげんらいきけ)』のその父は日蓮大聖人であらせられる。

『遣使還告』は富士大石寺にいます法主上人であらせられる。

 以上のごとく心得て、経文は拝すベきで、譬(ひ)如(によ)良(ろう)医(い)をインドの釈迦と読んではならぬ。この良医が『智(ち)慧(え)聡(そう)達(たつ)』であって『飲(おん)佗(た)毒(どく)薬(やく)』― よく衆病を直すとある方薬とは、三大秘法の大御本尊様であって、『飲(おん)佗(た)毒(どく)薬(やく)』の佗の毒薬という佗(た)は、三大秘法の本尊にあらざる佗(た)であって、毒薬とは邪宗教である。良医の作った薬以外は、みな毒薬であるから、佗(た)といったのであって、三大秘法の御本尊以外は、ことごとく邪宗教である。佗(た)の字に心を留(とど)められたい。『色(しき)香(こう)美(み)味(み)』とは、三大秘法と拝すべきで、戒(かい)定(じよう)慧(え)と読むべきでない。

 また、学会で、この信仰によれば生命力が強くなる、ということについての文証は『更(きよう)賜(し)寿(じゆ)命(みよう)』という文である。その前の文に『我(が)等(とう)愚(ぐ)癡(ち) 誤(ご)服(ふく)毒(どく)薬(やく) 願(がん)見(けん)救(く)療(りよう)」すなわち、われら愚癡にして誤って毒薬を服せり、願わくば救療を給えと。当世の体を見るのに、みな「我(が)等(とう)愚(ぐ)癡(ち)』のことばに当たり、誤って毒薬を飲むというが、みな邪教に迷って、その生命力および福運が衰減して、病み疲れているかたちである。そこで、願わくば救療を給えと、言わざるをえない。ここに、宇宙唯一の御本尊あり、弱った生命に、衰減した福運に、うまくいかない事業に、さらに寿命を与えようとおおせになっている。なぜ、すみやかに、末法の御本仏、出世のご本懐たる三大秘法の本尊を信じないのだ。まことに「我(が)等(とう)愚(ぐ)癡(ち)」というが、愚癡なものである。

 また、御本尊を守護する側も、すみやかに謗法を去り、勇気を盛りおこし、たがいに怨嫉することなく、一団となって、広宣流布の大道へ進もうではないか。

                          (昭和二十八年二月十五日)