戸田城聖先生の巻頭言集 23 瑞相現わる
読売新聞七月十八日の紙上より、
花開く二千年前のハス
きょう十八日早朝、二千年前のハスの実が、長い眠りからさめて、雨の中にうす紅の花を開いた。府中から駆けつけてきた 〝ハス博士〟 前東大教授、大賀一郎博士(六九)は、千葉市畑町一九九六醸造業、伊原茂さん宅の庭先の水を張った釜のなかに、開花第一日を迎えた、美しい、花冠をなでながら 〝咲いた〟 と、至極ご満悦。これは、昨春、千葉市検見川の弥生式古代遺跡(約二千年前)の丸木舟の中から発見した、三粒のハスの実云云。
東京新聞七月十一日の紙上より、
これが数万年前のハス
ワシントン市の国立公園に、敷万年を経た種から発生したといわれるハスが、淡紅色の大輸の花をつけた。種は、二年前に満州の地層から発見されたもの云云。
東洋と西洋にわたって、立宗七百年の年、何千年何万年前の蓮の種が、花を咲かせたということは、単なる偶然と考えて、よいであろうか。これ、仏法が日本よりおこって、全東洋に流布すぺき前兆でなくて、なんであろう。
その仏法興隆の本源たる、三災がおこっているではないか。すなわち、三災とは、兵革、疫病、穀貴で、兵革は、太平洋戦争において眼前である。疫病は、一応には、肺病にかかって、全国民が、あらゆる所に悩んでいる。二応には頭破作七分すなわち心破作七分といって、全国民が、一は共産党、一は資本主義、一は映画スターを尊仰し、運動選手を尊仰し、なんら定見なく、寿量品の『憶想妄見網中』の姿が、それである。穀貴は、全国民が、生活難に悩んでいる姿、しこうして、このほかに自界叛逆難は盛んにして、今、日本の国、いずこに快楽の土地があるであろうか。すなわち、泥沼のような民族生活ではないか。
この泥沼にあえぐ民衆の一大欲求は、一大仏法の出現である。崇高にして正しく、利益と罰と厳然として、だれ人も頼むに足るべき、偉大なる仏法が現われなくてはならないときである。東西両洋に咲いた蓮の花は、泥土より見事に花を咲かせたではないか。すなわち、何千何万年の夢を破って。
今、日本民衆の泥沼の中から、遠く久遠元初、近くは、七百年の夢を破って、末法御本仏の崇高なる仏法が、ぱっと咲き乱れるのである。この蓮華の花が、東西両洋に咲き出したということは、末法御本仏の仏法が、花やかに咲き出す瑞相でなくて、なんであろう。
(昭和二十七年九月三十日)