明日から日本に行く。

私は3年ぶりぐらいだけど、夫は7年ぶり。

私より日本が好きなんじゃないかと思うほどの親日家の夫は、

数日前から興奮してよく眠れないらしい。

遠足前のコドモかッ。

 

 

両親が他界して、初めて二人で行く日本。

彼らに会うのは仏壇とお墓だけというのは寂しいけれど、

まだ行ったことのない場所を少しずつ訪れる旅ができるようになったと考えよう。

 

 

10日間の日程だが、

私の友人、姉妹とその家族、夫の友人、元教え子たちと会い、

友人の一人が住む新潟に行き、さらには長野・善光寺の隣にある、

私が好きな日本画家 東山魁夷の美術館にも足を伸ばし、

どうせ長野に1泊するのなら戸隠神社にも行こう、ということになって、

落ち目の芸能人並みのスケジュールになっている。

 

私と夫の旅行のスタイルは、寸暇を惜しんで歩き回る。

ホテルや1か所でジッとしていられない。

ましてそれが大好きな日本となれば、疲れなど感じない。

 

 

猫たちには、数日前から個々に言い聞かせている。

世話は義両親に任せられるから安心だ。

乗り物に弱い私は、できれば飛行機や船を使わずに旅ができたらと思うけど、

島暮らしには無理な話。

 

旅行から戻ったら土産話を書きますね。

 

 

 

 

 

最近、創作作業をしながら落語を聞いている。

実際にあった不思議な体験を集めた朗読を聞くのも好きだが、

落語のおもしろさに目覚めた。

といっても初心者で、ひいきの落語家がいるわけではない。

桂枝雀は早口で、擬態語が多くてテンポがいい。

桂歌丸は、聞きやすい。

 

日本のお笑いは、漫才ブーム(いったい何年前のことだ?)の頃はおもしろく笑っていたけれど、

だんだん、同じフレーズを繰り返して笑わせたり、誰かを貶めて笑いをとったり、

人を笑わせるより、人に笑われているようなお笑いが出てきて、見なくなってしまった。

 

落語の、そこはかとないおもしろさはクセになる。

こんな噺がある。

 

昔、念入りな殿様がいて、家臣を集め、密談といって高輪沖に船を漕ぎださせた。

なにごとかと家臣らが気を引き締めて聞けば、屋敷の空き地に豆を植えたい、と言う。

さほどのことでもないのにどうしてこんなところまで、と尋ねたら

「鳩に聞かれとうない」

 

 

 

『疫病神』はこんな噺。

何人目かの女房にも逃げられるほど怠け者の男は、20銭ずついろんな人から借りている。

なぜ20銭かといえば、返してほしいと思っても、言いづらいぐらいのはした金だからである。

もちろん男には返す気などさらさらなく、相変わらずたいして仕事もせずブラブラしている。

男がある夜、ふと目を覚ますと枕元に痩せた男が座っていた。

聞けば自分は貧乏神なのであるが、おまえさんに働いて欲しいと思って出てきた、という。

「貧乏神ってのは貧乏なやつのところにいるんだろ、働いたら貧乏じゃなくなって困るんじゃないか」

と男が言うと貧乏神は、

「何をおっしゃいます、あたしら貧乏神は人さまの稼ぎを吸い取って暮らしとります。

おまえさんのように殆ど稼ぎがないと、あたしは吸い取るもんがなくなって困るんでございますよ」

「ふん、働くったって道具がねえ、とっくに質に入れちまった」

「なんとまあ情けない・・」

結局、男は貧乏神に借金をして道具を質屋から受け出したが、働いたのは最初のうちだけで、すぐに怠け者に逆戻り。

見かねた貧乏神が、内職をし始める始末。

しかしまったく悪びれることもなく、内職の金を無心する男にほとほと嫌気がさして、

貧乏神は家を出て行くことにした。

別れ際、さすがにしんみりした男は言った。

「おれぁ何人ものカカアと暮らしたが、おまえが1番気が合った・・」

 

 

 

バカ笑いするようなおかしさじゃない。

フフッ・・とほんのり湧きあがり、あとで思い出しても何度もフフッとくるおかしみがいいのである。

 

 

 

<おまけ>

 

夕食を食べに行ったレストランのメニューが、なんか変。

 

 

来たのは初めてじゃないけど、なんか変だと気づいたのは今日。

スシロールの「ー」も、縦書きなのに横棒だ。

誰か言っておあげよ・・・・

 

 

 

 

世の中にはいろんな不公平があるだろうが、

私が思う1番の不公平は「英語圏の人々」である。

 

私はその不公平を、夫と出会うまでは考えもしなかった。

日本に住んでいた頃、夫は英会話の会社に勤めていた。

そこは、英語のネイティブスピーカーを高校に派遣したり、英会話レッスンをしたりする会社だから

同僚は全員英語のネイティブスピーカーである。

出身は、アメリカはむろんカナダやイギリス、オーストラリア、ニュージーランドなどさまざま。

 

私が驚愕し、同時に歯ぎしりするほど嫉妬を覚えたのは、

彼らが、会ったその瞬間から英語で普通にコミュニケーションがとれることである。

それは日本人が、アメリカ人やイギリス人と日本語で会話するようなもの。

 

自国以外の国の人はみんな、外国人であるのに、

その外国人と、いきなりなんの苦もなく話せるなんて許せない。

またそれを当然とか思ってる節があるのも、我慢がならん。

それで、「英語は難しいからね」とか間抜けたことを言ってるネイティブスピーカーも許さん。

 

日本語のほうが100万倍も難しい。

殆どの人が、多くの漢字を読めないまま墓場に行くのだ。

相手を立て、謙譲してみせるワザもいる。

日本語を教えていた時の生徒は、物を数えるときの単位の複雑さで目を回していた。

鉛筆は1本で、お皿は1枚、車は台で、建物は棟。

日付の1日はツイタチとしか言わず、2日はフツカとしか言わない。

大統領にだって「YOU」と言い、魚もビルも数字でしか言えないアンタラに、日本語の複雑さがわかるかっての。

 

こんなにも複雑で美しい日本語をらくらく駆使する日本人が、

なんで英語が苦手だからと劣等感をもたねばならないのか、それが私は悔しいのである。

 

 

 

「アメリカなんて最近できた国で、英語だってイギリスからのもらいものじゃん」

 

腹立ちまぎれに私が言うと、

 

「それはそうだけど、日本の漢字だって殆ど中国からのもらいものじゃないの」

 

と夫が言った。

 

「・・ええい!平安時代からひらがなはありましたッ!(ムキになってる)」

 

 

 

 

 

英語を共用語に決めたやつは誰だ、出てこーい!