芝村陣屋

 

創設年代・・・延享二年(1745)

創設者・・・・織田頼宣

形態・・・・・陣屋

構・・・・・陣屋南門(慶田寺山門)

 

 

 

陣屋跡・石垣・現織田小学校

 

 

 

陣屋跡・織田小学校

 

 

 

天池(堀)方面より陣屋跡を見る

 

 

 

菩提寺慶田寺に移築された陣屋南門

 

 

 

近隣の箸墓古墳

 

 

 

陣屋跡周辺より見る箸墓古墳

 

 

略史

織田信長の弟、有楽斎は関が原で徳川家康に与し加増を受けた。

大阪夏の陣後、四男長政に分与し、長政は戒重に陣屋を構え立藩した。

七代輔宜は予て計画していた芝村に陣屋を移転したが、輔宜は幕府の信頼を受け支配した大和国の幕府領の年貢増徴で、農民強訴”芝村騒動”が発生した。

次の長教の時、預かり地の商人からの収賄事件が発覚、預かり地は召し上げられた。その後も織田氏は明治まで在藩した。

 

 

ポイント

平城。柳本藩同様、織田家が約250年、明治まで収めた。年貢徴収の便を考え、戒重より藩領の中心にある芝村に陣屋を移築した。

女王卑弥呼の墓と見られている、日本最古の前方後円墳、箸墓古墳の近く。

 

 

印象

あの有名な箸墓古墳の近くにあり感激。

織田小学校とその周辺、160×250m.の範囲。ここも灌漑用池等、水をうまく取り入れて防備している。小学校の石垣は当時のものを整備、土塀を復元している。

近隣の慶田寺は織田氏の菩提寺で、山門は陣屋南門を移築。

今日も良く歩いた、電車の時刻表との戦いでもあったが。

 

訪問日

H20年 2月