阿尾城(別称:大ヶ崎の城)
あおじょう
創設年代・・・戦国期
創設者・・・・・菊池氏
形態・・・・・・・山城
遺構・・・・・・・曲輪・堀切
氷見港側からの遠望
城碑
登城口(白峰社)
北側からの遠望(昔は、この辺りも海?)
三の郭から榊葉乎扶布神社(郭跡)方面
榊葉乎扶布神社(郭跡)塁壁・手前三の郭
榊葉乎扶布神社(郭跡)から三の郭・二の郭方面
二の郭
同
同
二の郭から見た絶壁
二の郭から見た氷見港
二の郭と主郭を結ぶ細尾根
細尾根・堀切
同
同・堀切
主郭
同
同
北側・城下町側
旧白峰社跡
旧白峰社本殿跡
白峰社参道・手前は三の郭
参道
同
同
途中にあったサルのトイレ?(笑)・・・切り株
略史 戦国末期、在地領主菊池氏が居城。 菊池氏は上杉謙信に仕え、 能登守護吉見氏や七尾城の畠山氏と争った。 謙信死後、越中を支配した佐々成政に仕え、 与力として末森城攻撃にも従軍した。 佐々氏が豊臣秀吉と対立すると、 前田利家の誘いに応じて佐々氏を離反した。 佐々氏は阿尾城の菊池武勝を攻めさせたが、 前田氏の救援を受けた菊池氏はこれを撃退した。 このため菊池氏は秀吉から所領を安堵され、 一万石の大名となった。 しかしその後武勝は出家して所領を返上、 子孫が新知千五百石を与えられ、代々加賀藩に仕えた。 城は慶長年間に廃城となった。 ポイント 城は氷見市北端の海に突出した独立丘陵上にあります。 北・東・南の三方は海に囲まれた断崖絶壁であり、 西も急斜面で陸地に接する天然の要害です。 全国的にも数少ない海城です。 また西麓から越中と能登を繋ぐ、古くからの主要街道があり、 交通の要衝でもあります。 郭は半島の先端に主郭を置き、 西側に二の郭・三の郭が連郭式に配置され、 主郭と二の郭間は細い尾根で結ばれ、堀切で遮断しています。 二の郭、三の郭間は段差で区画されていたらしいですが、 公園整備で改変、明確ではない。.。o○ 唯一陸地に繋がる西端の榊葉乎布神社の郭は 重要な防衛拠点として機能していたと思われます。 印象 海に突き出た半島にあります。 公園に整備され、改変されていた為か、はっきりした遺構はなく、 縄張りも面白味はなかったです。 でも、なにより、航空母艦のような断崖絶壁な姿が素晴らしい!。 お城には白峰社の参道から登城した為、気が付きませんでしたが、 氷見港側から見ると、まさしく天然の要害です。 納得!。 お城からのアルプスも絶景・・・。 訪問日 平成29年3月 |