羽黒城(別称:梶原館)
はぐろじょう
創設年代・・・建仁年間(1201頃)
創設者・・・・・梶原景親
形態・・・・・・・平城
遺構・・・・・・・土塁・堀
城碑
遠望
堀・土塁
興禅寺
興禅寺内梅
略史 鎌倉時代、梶原景時が幕府により誅殺された後、孫の豊丸(景親)が梶原家の菩提寺興禅寺のある当地に落ち延びて館を築き、代々ここに居住した。戦国時代、景親の子孫の景義は織田信長に仕えたが、本能寺の変で信長に殉じて討死し、梶原家は断絶し廃城となった。しかし小牧の戦いでは豊臣方の森長可がこの館跡に進出した為、徳川家康は酒井・奥平氏らを向かわせ八幡林で激戦となったが、森勢は支えきれず犬山に敗走した。その後長久手の戦いを経て両軍膠着状態になったが、秀吉は当館を修復して山内・堀尾氏らに守らせた。戦後、廃城になった。 ポイント 堀・土塁のある中世豪族の館でした。 廃城であった当館も小牧合戦で再度、日の目をみました。 犬山城を奪取した、池田恒興の婿森長可が 手柄をたてんと小牧山に近い当館跡に進出、一戦したもの。 小牧・長久手合戦の前半を彩りました。 印象 興禅寺の裏山の竹林の中にひっそりと城碑があります。 僅かですが空堀・土塁も残っていました。 ここも印象深い城跡です。 名鉄の羽黒駅員や地元のおばさんに場所を聞くも分からず。 興禅寺の名前を出して、やっと寺まで案内されました。 寺の人に聞くと裏の竹林に城跡らしきものがあるとのこと、 行ってみると城碑を発見! 一緒に来たおばさんと感激しました。 帰りに、長いこと住んでいるけれど、初めて当城を知ったと感謝されました。 面白いこともありますね~。 訪問日 昭和63年2月 |