七日市陣屋
なのかいちじんや


創設年代・・・慶長年間(1610頃)
創設者・・・・前田利孝
形態・・・・・陣屋
遺構・・・・・郭・黒門・櫓台・御殿・武家屋敷



黒門
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陣屋跡の富岡高校
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黒門
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黒門裏側
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御殿正殿
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御殿山櫓台裏側
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御殿山櫓台
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富岡高校グランド(鏑川は左下)と旧道
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裏側郭内にある蛇宮神社
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北保坂家長屋門
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縄張り図
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略史
1615年、加賀金沢藩主前田利家の五男利孝は、
大阪夏の陣での戦功を認められ
上野甘楽郡内に一万余石を与えられ、
七日市に陣屋を構えて立藩した。
利孝死後、
利意の時館林城を、利慶の時古河城を守備した。
その後も前田家は在藩し、
1842年、利豁の時家老保坂庄兵衛に命じて
藩校成器館を創設した。
また水戸天狗党の領内通行の際には、
高崎藩兵と共に戦ったが惨敗している。
次の最後の12代藩主利昭が版籍奉還し、廃藩に。




ポイント
鏑川北岸の河岸段丘上に位置しています。
陣屋は四方を水堀・空堀・土塁で固めていました。
黒門は中上門とも呼び、
その東側に200mにわたる大手桝形があり、
旧道は桝形の外から南に向かい、
陣屋の東から南側を廻っていました。
御殿山は櫓台ですが、
この櫓台と黒門前の桝形の構造は
小幡・吉井・岩鼻などの陣屋と共通しています。




印象
立派な黒門と
御殿正殿、書院、櫓台、外周土塁、石垣等が
郭内にある富岡高校に残されていました。
素晴らしい!。
黒門から少し内部に入ることが許されており、
恐る恐る入り・・・
御殿、櫓台内側の土塁・石垣を見せてもらいました。
感謝!感謝!です
陣屋は富岡高校の北側にも及んでいましたが、
下仁田道や上信電鉄が貫通しています。
帰り際に御殿山櫓台にある信号の反対側に
少し入ったところに家老北保坂家の長屋門を発見!
感激!でした~~



訪問日
平成22年9月