聞いてみると精霊たちから見たら、今の世の中は、複雑になりすぎているそうです。

精霊たちから見て、人間が本来のエネルギーを発揮できなくしてしまっている原因は「知」の力が強すぎるということ。
膨大な情報と、それらから構成される、人間独自の知の網目にからめとられて、感情、感覚が、自然界の調和から離れて否定的になり、それが負の連鎖を引き起こしています。

簡単に言えば、人間たちは、自分たちでつくりあげた世界観に、がんじがらめになっているように見えるのだとか。

情報も、知の網目も、もっと少量でゆるやかな時代は、自然界の存在がもたらす不思議が日常に入り込む余地もあったし、情報や知識が少ないぶん、共有される世界観も単純で、細かい部分は自分で考えて、自分でつくりあげるのが普通で、それにより、個性というものがもっと自由に形成され、その自由な空気のなかでお互い様、認め合い、助け合う空気がありました。



文明が進んで便利になり、昔よりずっと素晴らしくなった部分もたくさんあるのだと思います。
それはそれで、悪い事ではないのです。


精霊たちは、知の領域と、個人個人の感覚や感情の在り方の自由は、切り離して考えたほうが、もっと生きやすくなるのではと感じているそうです。

人間の知には、限界があります。

隣にいる人が、今この瞬間、何を考えているのか。
知ることができますか?

隣人のすべてを知ることだって、永遠に不可能です。
この世界のすべてを知の網目で覆うことなど、できると思っているなら大きな思い上がりでしょう。

せっかく先人たちが、みんなが生きやすいようにと積み上げてきた膨大な知があるなら、それを使って、それぞれがもっと自分らしさを発揮できて、もっと自由で、もっと生きることそのものを、楽しめるようになればいい。
人の持つ知というものを理解できるタイプの精霊たちは大方、そういう感覚でいるそうです。


自然界の癒しに触れることは、知の網目から、ほんのわずかな時間でも開放されるチャンスです。
たくさん自然のある調和のとれた場にいるだけでも、自分本来の感覚を取り戻し、否定的なエネルギーを手放し、心と体が深呼吸できます。

また一方で、常日頃、恵まれた自然の中にいる人たちでさえ、身を置いている文化の共通の認識や、それにより構成された世界観に振り回され、人間関係に悩み、心理的におかしくなってしまうことすらありあす。
共有されている知とは、それほどに人に対して力があります。


自分の尊さ、他人の尊さ、世界の尊さ。

この三つがバランスよく認識できていれば、知によって心が否定的に方向へ、傾きすぎることはありません。

万華鏡は、三つの鏡が向き合って三角形を作った内側を、光に向けることで、内容物が複雑で繊細な幾何学を作り出します。
瞬間瞬間が美しく、二度と同じ形にはならない。

 



精霊たちとの魔法は、まるで、この万華鏡の働きにそっくりなのです。
もし、あなたの心の万華鏡が整っているなら、いつだって魔法の準備ができている状態。
望むなら、精霊たちとの魔法が、きらきらと動き出します。

私を生かしている、世界は尊い。
私が愛し私を愛し得る、あなたは尊い。
それらを感じる、私も尊い。

心で、この三本柱がそろっていたら、現実を生きながらにして、精霊たちと並び立つことができます。

精霊たちと同じように、そこにいるだけでも人や物事を調和し、あらゆる現実化を早め、自分の持って生まれた役割を自覚して自信をもって役立てることができるようになります。

魔法のように美しく楽しい時間を生きられるように。
精霊たちは、いつでもその扉が開かれるのを待って、さまよう人たちを見守っています。