いつも精霊たちのお話をしていますが、精霊たちは、精がぐーっと集まって霊になった自然界のエネルギーの格のような存在です。今日は、自然界のエネルギーではなくて、人の想いや、やさしさが、物に宿るお話をします。

格別に古い器具、特別なあつらえの道具が、魂をもって話したり、動いたりするお話は、聞いたことがあるかもしれません。
それは、その物に、周囲の自然の気、触れる人の気、いろんなものが宿っては、積み重なっていき、それが人格を持つにいたったものです。

物というものは、自然に発生しません。
人が、なんらかの意図をもったとき、その手によって作り出されます。

 



人が丹精をこめてつくりあげたもの、というのは、人の想い、心がこもっているという部分が、非常に特別なのです。

人の想いというものは、目には見えません。
でも、その想いが特別に強くこもっている物に出会うと、五感の特別に優れた部分で感じることができます。

言い表せないくらい美しく目立って見えたり、ほんのりやさしい気持ちになったり、いい意味で鳥肌がたったり。

ただ、誰もが価値のある美術品に、そんな風に反応するわけではありません。

感覚の世界では、その人との相性のほうが大事なのです。
たとえ美術品としては偽物でも、誰かが綺麗だな、素敵だな、と思って触れてきた心に嘘がなければ、その想いに感応します。
そして、どんなに高価な美術品でも持ちえない、そのモノからの加護は、それを好きで、キレイだと純粋に思う気持ちに対して与えられます。
世の中での価値と、その人にとっての価値というのは、まったくもって関係ないのです。


優れた商品が数多く出回るようになって、手作りというのもは、昔に比べて、あまりされなくなっているかもしれません。

それがもったいないなと思うのは、物の作り手になったときにしか、わからない感覚があるからです。

誰かのために、はりきって何かを作るときの、キラキラした心。
受け取る人の喜ぶ顔を想像しながら、でも、どこかでちょっと不安だったり。

心を込めて、丁寧に作り、誰かを喜ばせたい、というのは、素敵なことだと私は感じています。

既製品を買って使うのが当たり前になる前の世の中では、誰もが様々な物の作り手でした。
だから、昔は、心がこもっているという物のが、どんな物か、なんとなく理解できていたのだと思います。

物には、心の欠片が宿ります。
人というのは、それくらい、万物に影響力を持った存在です。



どんな人も、自分が思う以上に、世界に対して影響を与えています。


手作りは、小さな魔法です。
何かを創造する喜びは、人ならではのもの。
どうか、人として生まれた喜びを、楽しんでみてください。