万物は流転し、とどまることを知りません。
でも、人は、ときにやることがなくて、暇だ、つまらない、などと感じることもあるかもしれません。

精霊たちは、常に、万華鏡を覗き込むような気持ちで、あらゆる物事の変化を楽しんでいます。
この世界の理を守る役割に、強い責任をもって存在する彼らには、たいくつしている暇などないのです。




精霊は誰しも、自分という存在に、非常に強いプライドと、それに比例する責任感を持っています。
自らが調和そのものでなければいけないと信じ、いつだって、頑張っています。

この世に存在するすべてが役割を持っています。その役割に対する敬意こそが、調和の源です。
「私も、あなたも、尊い役割を生きている」
それが、調和という感覚の芯にある言葉です。

だから、彼らは働き者を愛します。
でも自らの存在を壊しそうな働きすぎには、もちろん警鐘を鳴らします。

精霊たちが愛する人に望むのは、自らの役割を、たのしく、喜んで生きて欲しいということ。

精霊たちは人間社会の一般の通念というのか、大人たちの常識的な生き方には、まったく興味がありません。
むしろ、あまり好きではないかもしれません。

働くというのは、周囲の誰かを世話し、助けることだと思っています。

職業が何かなどは、どうでもいいのです。
身近で、目の前で、困っている人に、手を差し伸べることのできるかどうかのほうが、ずーっと大切なのです。


そして、できるなら、それをすることが喜びであるものを、仕事にして欲しいと、願っています。
喜んで、楽しんで続けられることで、周囲を明るくし、楽にして、助けるような、そういう何か。

自分という存在の持つ特性を生かして、周囲を助け、世話し、喜ばせることは、ここに在る存在意義そのものであると芯から感じられるくらい、尊くて、うれしくて、ありがたいことだと、彼らは言います。

精霊たちの世界の認識と、人間たちの世界の認識には、大きな開きや、ずれがあります。
でももし、精霊たちの言うようなことを、お仕事にできたら、生きることがもっと楽しくなるかもしれないと、私は思います。

今もし、自分がしていること、いる場所に、否定的な感覚が強かったら、あなたを愛する精霊たちに「私にふさわしい居場所、お仕事に導いて」と、お願いしてみるのも、ひとつの方法です。

 



彼らは、愛する人がどんな居場所なら居心地がいいのか、どんなお仕事なら生き甲斐にできるのか、熟知しています。
お願いされたら、全力で、その方向に縁がつながっていくよう、精霊たちの広くて深い、縁の網目をたどって手伝ってくれます。

今の生き方は不自然だなあと、強く感じていて辛いときは、愛してくれている精霊たちを頼ってみてください。

不自然と感じているひとつひとつが、自分らしさ、自分を生きる楽しさに代わっていくような、好きと、楽しいに満ちた毎日に、少しずつ、導いてくれるでしょう。