城めぐり | 今帰仁城-その2 - 三山鼎立時代、沖縄北部を治めた北山王の居城! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るるん♪ 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」
お城めぐりの旅、今帰仁城その2の紹介です。
その1はこちら。

 

城名(別名) 住所 関連する人物
今帰仁城 沖縄県国頭郡今帰仁村今泊5101 攀安知(はんあんち)、北山監守、今帰仁氏

誤字やリンク切れ等がございましたら、コメントにてお知らせくださいますよう、よろしくお願いいたしますm(_ _ )m

スマホで地図が表示されない場合、一度前の記事に戻ってもらい再度次の記事を読み込みすると表示されるようです。

日本100名城スタンプ No.98
登城年月:2012年02月
登城順:87/100
今帰仁城は三山鼎立時代、北山の王が居とした城です。
2000年(平成12年)、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。
くるまr駐車場があります。

100名城スタンプは今帰仁村グスク交流センターにあります。
入城料:600円(今帰仁村歴史文化センター入館料込み)。
8:00~18:00(夏季は19:00)
休日:なし。


沖縄北部を治める北山王の居城・今帰仁城

14世紀、沖縄は三つの国(三山鼎立時代)に分かれ、北部を北山、中部を中山、南部を南山の王がそれぞれ治めており、 北山の王が居としたのが、今帰仁城です。
北山王の統治は、応永23年(1416年)、最後の北山王・攀安知(はんあんち)が中山王・尚巴志(しょうはし)に滅ぼされるまで約100年続きました。
北山滅亡後は、北部監視のための北山監守(ほくざんかんしゅ)が置かれ、以降、北山監守の居城となりました。
慶長14年(1609年)、薩摩・島津氏の侵攻により城は焼失してしまいました。

 

今帰仁城縄張り。

 

 

大庭(ウーミャ)にある志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑。
「乙樽」は慶真村生れの北山王の側室です。

 

 

御内原(ウーチバル)。女官の生活の場所。

 

 

御内原(ウーチバル)にある城内上御嶽(テンチジアマチジうたき)。
かつて霊石が祀られていた。
北山最後の王・攀安知(はんあんち)が自害する際、十文字に切り裂き、以降行方不明。

 

 

主郭。

 

 

主郭正殿の礎石。

 

 

主郭の遺構。

 

 

主郭下の石垣。二段になってます。犬走的なものはてなマーク

 

 

主郭に鎮座する火神の祠(ひのかんのほこら)。

 

 

主郭より志慶真門郭(しげまじょうかく)。
城主側近たちの住居。かつては4つの建物が建っていた。

 

 

志慶真門郭(しげまじょうかく)。向いの城壁は主郭。

 

 

志慶真門郭(しげまじょうかく)の城壁。

 

 

志慶真門郭(しげまじょうかく)から主郭を見上げる。

 

 

お城めぐりTOPへ戻る

 

アメブロ以外の方のご意見・ご質問等はこちら まで。
※返信までに時間を要する場合、お答えできかねる場合もございます。ご了承ください。

ライン宣伝07 ラインスタンプ作りました。
喜怒哀楽を兜の前立てで表現した可愛い「武将の日々と日常なサムライスタンプ」
かわいい「たぬきサムライのスタンプ」などなど。
気に入ったら使ってくださいね。よろしくお願いします。
スタンプはこちらから。

ブログランキングへ参加中です。ご協力お願いしますm(_ _ )m
パクリはやめましょう!
このブログの記事や画像の無断使用、転載は絶対やめてくださいね。
まとめサイトとかもダメです!
ご用の際はこちら まで。

この記事作るのにいろんな史料を調べたり、現地に行って写真撮ったり、時間・お金がたくさんかかってます!
ズルしちゃだめですよ。

© 2010-2023 siro-sengoku-bushou.