「武るるん♪ 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」ミステリーな旅、モーゼの墓の紹介です。
ミステリーなもの | 場所、詳細など | 住所 |
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モーゼの墓 | 伝説の森公園(モーゼパーク) | 石川県羽咋郡宝達志水町河原130の2番地 |
駐車場があります。
能登半島にモーゼの墓があるというので、行ってきました。
モーゼという名前、聞いたことありますよね。
あの「十戒」で有名な人です。
モーゼについて、現地の案内を以下に引用。
モーゼは旧約聖書の「十戒」で有名な古代ヘブライ王国の指導者で、苦難の僕としての指導者像の範型である。
モーゼはユダヤ人がエジプトで迫害を受けていた暗黒時代に誕生した。
ユダヤ人の子として生まれたモーゼは、エジプト圧政下にエジプト王パロの娘に一命を救われ、宮廷で学問、武道にたけた若者に成長した。
当時パロ王のユダヤ人に対しての虐待・奴隷的な扱いにモーゼは怒りに燃えていた。
ついに、繰り返す圧政にモーゼは数十万人のユダヤ人を引率し、40年の歳月をかけ、ようやくイスラエルの地へと導いた。
その後、シナイ山に登り、神より「十戒」を授かった。
そのモーゼの墓がなぜ日本にあるのでしょうか
駐車場をおりてすぐにある案内板には以下のように記されています。
三ッ子古墳と聖者モーゼの伝説
謎の究明①
謎の解明の一つに古文献「竹内文書」がある。
それは富山県の竹内家が代々守ってきた古文書である。
古文書には、モーゼはシナイ山に登った後、 天浮船に乗り、能登宝達に着き、「十戒」を授かりミッ子塚に葬られていると記されている。
謎の究明②
考古学者の山根きく著「光は東方より」の中にも紹介されている。
モーゼは当時の天皇に拝し、 十戒法を開くため宝達山麓に住居し、 天皇の娘・大室姫と結婚した。
その後シナイ山へ数度訪れ、 十戒法の政治を開いた。
この著書がひろく紹介され、多くの観光客や興味ある人々が訪れるようになった。
また、森を少し進んだ左手にも、モーゼクラブによる案内があります。
以下、モーゼクラブの案内。
能登おしみず町に残るモーゼ伝説
モーゼクラブの案内より。
能登おしみず町には古くからモーゼ伝説があります。
不思議なことに、大賢人モーゼは当地で「十戒」を授かりました。
モーゼは数十万人のユダヤの民を指導した後、再び当地へ戻りここに眠っていると伝えられています。
このモーゼの墓は「ミッ子塚」と呼ばれており、たくさんの方々が訪れています。
モーゼ伝説は現代の私たちにとって非常にミステリアスであり、夢とロマンを呼びおこさせてくれます。
「竹内文献」に記されたモーゼの生涯
モーゼクラブの案内より。
古史古伝の代表作「竹内文献」のなかに、モーゼは能登・おしみずへやって来ていると記されている。
モーゼは「十戒」を刻んだメノウの石(十石)をもって日本を訪れ、当時の天皇にそれを献上した。
たいへん感激した天皇は第一皇女の大室姫(おおむろひめ)を妻としてモーゼに嫁がせた。
モーゼと大宝姫は、新たな使命を帯びて離日した。
大業を遂げた二人は再びここへ戻り、能登・おしみずに永眠した。
この墓は、三ッ子塚と呼ばれ、中央の大きな塚にモーゼが葬られ、右側の塚に大宝姫そして左側の塚に孫が葬られていると云われる。
以上、現地のモーゼの墓に関する案内です。
内容に多少異なる点もあるものの、概略すると、能登にモーゼが来て、天皇の娘・大室姫と婚姻。
そして、この地に永眠し、その墳墓は三ッ子塚(古墳)と今日呼ばれている。
ということですが、真実はいかに
まさにミステリーですね
ちなみに、三ッ子塚(古墳)は字のごとく並んで墳墓が三つあり、中央がモーゼの墓、その両側が大室姫と孫のものだそうです。
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