武将の墓 | 武田信虎の墓-4 - 大泉寺!子と孫3代が並んで眠る | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

「武るる 日本全国の武将と城の旅。ときどき観光とグルメ」武将の墓めぐり、武田信虎の墓の紹介です。

 

人物名 墓のある施設 住所
武田信虎 大泉寺 山梨県甲府市古府中町5015

 

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武田信虎の墓は大泉寺にあります。
発見難易度★★☆☆☆
御霊殿の裏側にあります。

くるまr駐車場があります。

 

息子・晴信(信玄)に突如追放される
武田信虎は、甲斐武田家15代当主で武田信玄の父にあたります。
天文10年(1541年)、今川義元との会見のため駿河へと旅立った信虎でしたが、突如国境が封鎖され、駿河へと追放という形で子・晴信(信玄)に家督を奪われてしまいました。
強制的に隠居させられてしまった信虎は、今川義元のもとで暮らし、その間、京都、奈良、和歌山などを遍歴しています。
信玄の死後(元亀4年(1573年)以降)、ようやく武田領・高遠城へと戻ります。
そのころ高遠城を居城としていたのは信玄の弟・武田信廉でした。
(※寺の案内によると、永禄9年(1566年)、72歳の時に高遠城へ戻ったとあります)

 

武田三代の墓がある大泉寺
大泉寺は大永元年(1521年)、武田信虎が開基、天桂禅長を開山として開創されました。
寺には武田信虎、武田信玄、武田勝頼の三代の墓や逍遥軒信綱(信廉)が描いた武田信虎(国重文)があります。
一気に武田三代のお墓が拝めるなんてありがたいですね(ˆ◡ˆ)

御霊殿の裏側にある武田三代の墓
武田三代の墓は御霊殿の裏側にあります。
御霊殿(内部は非公開)には窓があり、窓を開けるとお墓が望めるようになっているようです。
ですので、お墓の正面は御霊殿側で、裏に周って見えるお墓は後ろ側になります。

 

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山門。柳沢吉保の菩提寺・永慶寺から移築されました。


 

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鐘楼。


 

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本堂。


 

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屋根に光る武田菱。


 

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ここにも武田菱が。


 

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御霊殿の門。普段は施錠されてます。お願いして開けていただきました。


 

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御霊殿。


 

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御霊殿内にはこの3体の木造が安置されています。
御霊殿内の画像を撮影。左から勝頼、信虎、信玄。


 

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武田三代の墓。後ろから。左から信玄、信虎、勝頼。

 

前から。真ん中が武田信虎の墓。

 

※武田信虎の墓は以下にもあります。
桂泉院の武田信虎の墓恵林寺の武田信虎の墓信立寺の武田信虎の墓

 


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