武将な街道めぐり | 台ケ原宿!織田信長、最後の観光旅行第一夜は台ケ原に滞在! | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)

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織田信長が甲州からの帰陣の際、滞在した場所、台ケ原宿の紹介です。
織田信長人生最後の観光旅行~信長初めて富士山を見るともリンクしていますのでよろしくお願いします。
 

史跡名 ゆかりの武将 住所
台ケ原宿 織田信長、滝川一益 山梨県北杜市白州町台ヶ原

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台ケ原宿は国道20号線から一本集落に入った旧甲州街道にあり、昔の趣が残っています。

くるまr少し離れた所に駐車場があります。


織田信長、威風堂々の凱旋旅行
織田信長は武田勝頼を滅ぼすと、息子・信忠を諏訪に残し、先に帰国の途につきます。
武田領への侵攻ルートは、安土→岐阜→岩村→飯田→高遠→諏訪と岐阜県から長野県へと入るルートでしたが、
帰りは→甲府→その後南下し中道往還を通り→富士川を渡って東海道を西上するというルートを選んでいます。

織田信長、台ケ原に宿す
初日四月二日は、諏訪を立ち、台ケ原に宿しました。
以下、「信長公記」に記された台ケ原宿滞在の様子です。

 

※記事は色文字を使っています。スマホで表示されない場合、一度前の記事に戻ってもらい再度次の記事を読むと表示されるようです。
「信長公記」

信長、帰陣の途に就く。

四月二日、
雨が降ったが、事前に決められていたので、信長は諏訪を出発。
大ケ原(台ケ原) に到着した。
陣所の建設や食事等々、滝川左近将監(一益)に申し付けてあり、 左近は将兵上下数百人の仮小屋を建て、充分な接待をした。

北条氏政、武蔵野で鳥狩りをし、雉を五百羽余り献上。
信長は、菅屋九右衛門(長頼)、矢部善七郎(家定)、福富平左衛門(秀勝)、長谷川竹(秀一)、堀久太郎(秀政) )の五人を奉行とし、馬廻り衆を召し寄せ、名簿を記入させ、遠国の珍物を分配した。
信長の威光、ありがたいことであった。


~以上が「信長公記」に記された織田信長の台ケ原宿滞在の様子です。

信長は滝川一益に陣所の建設や食事等々の手配をさせ、北条氏政からの使者にも応じています。
初日は、諏訪から台ケ原まで8里ほどの行軍でした(国道20号を使って32キロ弱です)。

さて、現地レポです。
今も古い町並みが一部残っていて、当時の面影を感じることができました。

 

 

案内板。

 

 

趣のある街並み。

 

 

当時を感じさせます。

 

 

こんな風景が今も残るって素晴らしいですよね。

 

 

田中神社。江戸時代のお茶壷道中の際はこの神社境内が宿所でした。
もしかしたらこの辺りに信長が宿したかもはてなマーク

 

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