武将の銅像 | 山内一豊と千代の銅像 - 千代の内助の功!名シーンな銅像 | 地図付き | 武るるん♪ 武将と城の旅。時々観光とグルメ(地図付き)
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武将の銅像めぐり、山内一豊と千代の銅像です。

人物名銅像設置場所住所
山内一豊、千代郡上八幡城岐阜県郡上市八幡町柳町一の平
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山内一豊と千代の銅像は郡上八幡城の駐車場前にあります。
くるまr城の駐車場があります。

郡上八幡城は、永禄2年(1559年)遠藤盛数(もりかず)によって築かれました。
郡上市の寺に残る遠藤氏の系図では、遠藤盛数の娘である千代が山内一豊の妻と記されています。
銅像はそのゆかりで建てられているのでしょう。

千代の「内助の功」
信長の馬揃え(うまぞろえ:軍事パレードのようなもの)に夫・山内一豊が参加するにあたり、千代はへそくりで新しい立派な馬を購入し、一豊にプレゼントしました。
馬揃えの当日、一豊の分不相応な馬を目にした信長は、「おぬしの知行でなぜそのような立派な馬を手に入れることができたのか」と訪ねます。
一豊が包み隠さず千代のことを話すと、信長は感心し、新たに知行を加増してくれたのでした。
自分の馬と妻を同時に褒められ、さらに知行まで加増された一豊はさぞ鼻高々であったことでしょう。


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山内一豊と千代の銅像全景。背後には郡上八幡城の天守閣が見えますね。
「これをあなた様に…。」
「おお、このような立派な馬をどうしたのじゃ。」
「わたくしのへそくりで買ったのでございます。」
「うう…。千代ー(/TДT)/」
「あなたさまーヽ(TДT)ヽ

…な、感じの銅像です。多分。



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山内一豊アップ。



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千代アップ。


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