【 1997年6月15日 ③ (ボスとの出会い) 】
香港に隣接する深圳地区は、経済特区に指定され、
様々な優遇策の恩恵があった。(1980年代後半)
1985年のプラザ合意によって、急激な円高が起こり、
輸出企業はコスト削減が必須の課題となり、
その対策として、中国進出が始まっていた。
その頃、ボス(井川 聰)は、大手商社から独立して、
香港で、日本と香港・中国との貿易会社を経営していた。
日本の高性能な精密機械を香港に紹介するのも、
事業の柱の一つだった。
取引先が中国進出をしていたこともあり、度々香港・中国を
行き来していた頃、香港の機械設備展示会で、名刺交換をしたのが、
ボスとの出会いだった。
高額の設備を輸入販売する際、代金回収のリスクの情報があり、
その対策として、「未回収設備は、起動できなくなる」
「特殊なプログラムを、組み込み」を、提案したのが、
「ボスとの、共同事業のスタート」と、なった・・・。
丁度、・・・1年前から・・・男の更年期障害・・・
憂と・・・鬱が・・・交互に・・・訪れ・・・
そして、・・・・追い打ちを懸けるように・・・
沢山の・・・別れが・・・ありました・・・
ボスの事が・・・重く・・・重く・・・
いつかは・・・書かなければ・・・
先に・・・進めない・・・
それが・・・更に・・・重くのしかかり・・・
今日まで・・・無意味な時間を・・・浪費・・・
私の人生で、・・・決して・・・忘れられない・・・『日』・・・
自分の誕生日さえも、・・・忘れる・・・
しかし、・・・この日だけは・・・忘れることは・・・ない・・・
『 1997年6月15日 』
1992年5月(彼女の似顔絵:自作)