覚醒した自分でいること。「今この瞬間」に気づいている事って大切。
今、自分がどこにいて何をしているのか。
 
自分がただ、自分として在るというのは、ごくごく自然な事で、
「今ここにいるのは私ですか?」って自分に言い聞かせなくても
それが自分だというのは分かります。
 
よほど、宇宙人に体が乗っ取られていたとかでもなければ(^-^;
 
 
さて、「今この瞬間」の妨げになるものは「思考」です。
 
思考は過去や未来に行き来して、過去に経験したことを材料に
自分という存在を勝手に作り上げてしまいがち。
 
過去に経験した出来事
潜在意識に刷り込まれた思い込み
経験した感情とで作られたイメージ
 
そんなのがごちゃまぜになって作り上げた『仮説自己』
これを現実の自分だと思い違いさせています。
 
過去の結果の自分がすべてだと。
 
それはとてもリアルに感じられます。
 
だから簡単に自分を左右させる事が可能です。
ある筈の無い苦しみを味合わせる事もできます。
 
 
こうして思考は本質的自己(本当の自分)から離れていき、自我を形成していきます。
 
しかし、思い込みや刷り込みによって定義された自分は本当の自分なのでしょうか?

 
 
たとえば、幸せを感じられない人が幸せを感じるために何かを所有しようとします。
満たされない気持を物で補おうとしますが満たされません。
そこで、物質ではないもので補おうとしはじめる。
 
 
スピリチュアルな事に興味を持つこともあるでしょう。
ヒーリングをやってみたり、禅をしてみたり、お祈りしてみたりなんでもいいんですが、
 
それらによって一時的に平穏や幸せを感じられるかもしれません。
 
 
しかし気づいてほしいのは、
 

スピリチュアルな事に興味を持つきっかけが、
思考が作り上げた仮想現実の自分、
思い込みや思い違い刷り込みといったものから作り上げてしまった
『本質から分離した自己=自我』からじゃない?。


 
 
これでは、スピリチュアルな事に興味は持っても
その核心の部分を理解する前に頓挫してしまうでしょう。
 
 
ここに気づけないと、一時的な平穏や幸せが終わった時に
「やっぱりこれもだめだ」・・・とそこからも離れていく。
 
 
対象が有形無形の違いだけで、根本は変わらず、同じ事を繰り返すだけです。
 
今の自分に気づいていくこと、覚醒することに知識や知性は必要ありません。
 
ただ在る。 Being。
 
 
私は、「無の境地」って「今に覚醒した自分」の状態だと思うのです。

 
 
さて、そうして「今この瞬間の自分として在る」を意識するようになると、思考がざわついてきます。
 
今までさんざん自分を振り回してきた存在ですから、ざわついて当然だと思います。
 
 
ほら、こんなことがあったよね!それだからあなたはこうなんじゃないの?
こんな経験したあなたがあんな風になれるわけがない
うんぬん、かんぬん
 
 
思考は悪いものではありません。 使い方の問題です。
 
 
どんなに「今ここ」に集中しても、思考は度々過っていきます。
それが普通です。
 
文明社会に生きている私達は、前頭葉が発達して、非常に思考を使っていますから。
 
 
ですが、思考は『先にあるものではなく、後で使うもの』だと思うんですね。
 

今ここで感じている事に対して理解するために使うとか、そういうこと。
 
もちろん、論理的作業を行う際には思考が前提を作ったりする必要もあります。
しかしあなたという人生を歩んでいく妨げになるような「前提」は必要ありません。
 
残念ながらそれでも思考はやってきます。
 
そう、思考がやってきた事をあなた自身が理解していればいいんです。
 
それに左右されずただ「あぁ、思考さんがまたなんか言ってますね~」と。
思考に対して無意識にならないようになれればいいんじゃないかな?