過去も未来も、自分の思考の中にのみ存在している・・・。

過去の事を考えた時、それは過去に自分がいるのではなくて、過去の事を思う今の自分がいる。

つまり、現象として過去そのものがここにあるわけではないんですよね。


過去も未来も、自分の中にあります。

「今を生きよう」なんて、私もよく言いますが、細かいことを言ってしまうと

「今」もまたすぐに過去になってしまうので、実は「今」というのは存在しない事になりますね(^-^;


こうして文字を打っている瞬間瞬間、一言打つたびにそれは過去になっていくと考えると、私達は実は過去を見ているだけになります。

一瞬一瞬の「変化」がそこに存在しているだけです。


過去、現在、未来というのは、思考の概念によって存在し得るにとどまり、現象としては存在しません。

ただただ、瞬間瞬間の変化と、永遠の今が連なっている・・・。


そういう意味では、来年も再来年も10年後も100年後も・・・

今この瞬間にあると言ってもいいのかも。


思考は常に過去や未来に揺れ動いて、ああすればよかったとか、こうなっていればよかったとか、こうなったらどうしよう?とか、ああなったら嫌だな・・・後悔や不安を掻立てる。

まだ起きてもいない事に恐れを持つ。


今に集中して、今をちゃんと生きるというのは、一瞬一瞬の自分の反応を捉えて生きるということなんじゃないかな?って思うんです。

そこをちゃんと感じていると、次やるべき事が自然と分かるとか、そこに向っていくとか・・・そういう「流れ」に乗る事ができるんじゃないかな?

ただし・・・一瞬一瞬の反応が、過去の積み重ねの結果としての選択なのか、未来のためのまっさらなスタート地点からの選択なのかは、自己認識の深さ、自己理解の幅によるのだと思います。


なぜなら私達の脳は、過去の積み重ねの結果から選択する事に慣れてしまっているから。
その積み重なった中には、怖れがいっぱいあって、未来のためでなく、今の自分を思考の中 の仮想安全地帯に逃がすための選択をすることがある。


しばらくして、こんな筈じゃなかったとか、やっぱりあっちを選択していれば・・・なんてことが起きる。
だからこそ、自分を認識して行くことって大事。


未来のための真っ新なスタート地点からの選択肢は無限。

どの方向に向かうのかは、思考や脳じゃなくて直感=「腑」やハートに聞くといい。

一瞬一瞬に反応しているその場所の声を聞くために、おきていない未来と今を比較しないで、「この瞬間」を捉えよう。


それは永遠に続く流れの1点1点。 通過点に過ぎないけれど、掛け替えの無い貴重な瞬間だ。