以下はWHOによって定義されているスピリチュアルの解釈です。
「スピリチュアル」とは、人間として生きることに関連した経験的一側面であり、身体感覚的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。
多くの人々にとって、「生きていること」が持つスピリチュアルな側面には宗教的な因子が含まれているが、「スピリチュアル」は「宗教的」とは同じ意味ではない。
スピリチュアルな因子は、身体的、心理的、社会的因子を包含した、人間の「生」の全体像を構成する一因子とみることができ、
生きている意味や目的についての関心や懸念と関わっている場合が多い。(WHO「ガンの緩和ケアに関する専門委員会報告」1983年)


詳しくは 「スピリチュアルケア」(Wikipedia)をご覧下さい。



スピリチュアルという言葉が蔓延し出してずいぶん経ちますが、
今もって「スピリチュアル」と「サイキック」がごっちゃになったり、
心霊現象だったりとか、宗教だったりとかとかくなにか色物というか、

善くも悪くも特別なもののように考えられている感じがします。

私が以前、病院などで研修していた「臨床パストラルケア」を別名「スピリチュアルケア」とも言います。と言うと、きょとんとされてしまうのです。

「スピリチュアル」とか霊的である事は、私達がいのちをもって生きている事それ自体を指すと言っていいと思います。
だから特別な事ではない。誰にでも当てはまります。


スピリチュアルとは『いかに生き、いかに死ぬか』の死生観を含む、「あり方」の事だと思うんです。
そのあり方が宇宙の法則と調和していて、
その上で、永遠不滅のスピリット、魂を見つめたり、自己の本質やハイヤーセルフ、その先に繋がるワンネス意識や宇宙意識とつながったり、理解できたりする。

サイキックな能力がなくても、

「自分を精一杯生きている人」
はとてもスピリチュアルです。

そういう人は深みがあります。

いのちある存在は宇宙の法則の中で生きています。
それは当たり前の事実。

だから宇宙と調和する事はエネルギーの流れがスムーズであることで、
それが健康だったりお仕事や人生そのものの流れに反映されていきます。

つまり、スピリチュアルであることもまた、当たり前の事実なんです。


・・・で、サイキックとは違うんです。 サイキックというのは「能力」の事。

サイキックな能力は、その人がその人自身の魂を全身全霊で生きている時に、必要に応じて開発されるものでもあります。
もちろん、こういう能力は訓練したり、後付けで開発していく事ができます。
その人の魂の有様からして必要な事ならばそれは開発されるでしょう。


たとえばスタイリストの仕事が大好きで、たくさんの人のスタイリストを経験してきた人には、
髪やお肌の状態やちょっとした仕草から相手のライフスタイルが分かったり、
直感で相手の本質を輝かせる色が分かったりします。

経験が物を言うといえばそれまでかもしれませんが、全てのスタイリストができるかと言ったらそうとは限りません。

その人の有様、あり方がその人にとって必要な事に意識を向かせているから、自然とそういう見方ができるようになるんだと思います。
べつにスタイリストだからできたわけではなく。

それはその人の人生のあり方から育まれた能力です。

オーラが見えるとかチャクラの状態が分かるとか、過去生が分かるとか、スプーンが曲げられるとか、
そういう事ばかりがサイキックな事だとは私は思っていません。

スピリチュアルもサイキックもその人自身のあり方と生き様から生まれるもの。

だから、一人一人にとっては当たり前で気づけないような事だったりもするし、
他から見ればとても特別な感じがしたりする。

そのように私は思うのです。

・・・・・ってこういう記事、この10数年、何度も書いてる気がするなー