ラコタ滞在記Part2-23:ウンデッドニーミュージアム~虐殺か、戦争か?・・・そして独立へ?

居留区からバッドランズ国立公園を抜けてすぐのところに2004年に完成した「ウンデッドニーミュージアム」がある。

中心になっているのは1890年12月に起きたウンデッドニーの大虐殺に関することだが、はじめの方はコロンブスの大航海からアメリカ大陸の発見、そしてヨーロッパの人々がどのようにしてアメリカ大陸に進んできたかに関して時代別に紹介されている。

到着したときはもう閉館まじかの時間。中に入ると誰もいなかったが、館長さんが「ゆっくりしていっていいよ」と言ってくれたので、ゆっくり見させてもらうことができた。

入館料は4ドル。一人につき一本、イーグルの羽のレプリカ(ターキーをペイントしたもの)がもらえるのがうれしい。
規模としては小さいが、まだ新しいので内装はすごくきれいだ。

ネブラスカ州で立ち寄ったファートレードミュージアムでもどのようにして白人がアメリカに入っていったのかを学ぶことができたので、それと照らし合わせてデッサンや寄贈品などを見つつ歴史をおっていく。

スペイン人、フランス人、イギリス人と入植していくにつれ盛んな貿易が行われる一方、酒による汚染や野生動物の乱獲が顕著になってくる。やがて白人はアメリカ大陸に政府を置き、ネイティヴの人々と衝突が始まる。時にお互いの話し合いによってお互いの関係を同等にしていく条約なども締結されたようだが、結果的に政府はそれを裏切っていく。
方々でネイティヴ・アメリカンは白人の指定した場所へと武力を持って移住させられていく。

ラコタをはじめとするスー族を中心に草原インディアンは、聖地でもあり墓地でもあり、安住の地であったブラックヒルズを奪われた。  金が発掘され、温泉も出たため白人はあの地を欲しがった。そのため方々で戦いが拡大していく。
しかし結果的に彼等はサウスダコタ州の北、南、東へともうけられた、何もない荒野の居留区へ移住させられていった。

居留区での生活は常にその外周や至る所に政府軍が監視として駐屯しており、めったなことでセレモニーもできない状況になっていく。土地ばかりか、彼等は伝統もまた奪われていった。

1890年、パインリッヂ居留区のウンデッドニーで「ゴーストダンス」なるものを行うべく、戦いをやめて平和な道を生きるために集まった人々が数百人。そこで惨劇が起きた。12月末の雪深いとても寒い時だった。

ミュージアムではこの惨劇の際に集まった人々の規模をはじめ、政府軍がどんな配置でどんな武器を所持していたかというのが分かるジオラマ模型がおかれていた。名称が書かれているボタンを押すとその部隊の部分にランプが灯る。その場に集まった数百人のネイティヴ・アメリカンを取り囲むように(半円の弧を描くように)ライフルを持った軍隊が取り囲み、少し下がった場所に『ホチキス銃(大型機関銃)』部隊が配置されていた。

ネイティヴ・アメリカン達は丘の下に集まっており、彼等の背後は切り立った丘になっているため取り囲まれれば後退はできない。そんな状況の中で発砲されていった。 

ミュージアムの中心にはこの惨劇で生き残った人々の言葉がプレートに書かれて壁一面に貼られている。

「気が付くと私は地に伏せていた。足が動かないので助けを呼ぼうとしたが、声が出なかった。目の前で母が弟に覆い被さって死んでいた。弟は下半身が無かった」
「悲鳴と銃声に囲まれて何が起きたのか分からなかった。逃げようと走ったとき、目の前で次々に人が倒れていった。彼等(軍人)は我々を背後から撃ったのだ」
「彼等(軍人)は容赦なく撃っていた。見境無く我々は襲撃されたのだ。血が飛び散り、私は目が見えなくなった。気が付けばバラバラになった肉片が私の回りにあった」

・・・こんな言葉が壁一面に張り巡らされていりる。「ちゃんと読まなくちゃ。見なくちゃ」と自分に言い聞かせなければ、とうてい普通に立っているのが辛いほど悲惨な出来事が目の前に繰り広げられていたが、私は時間が許す限りそれを読んだ。原爆記念館でもこういった目撃者、生き残った人々の証言を見聞きすることができるが、とうてい直視しがたい、悲惨という言葉ではまったく表現にならないほど辛く悲しくあまりに酷い。

胸が痛んだ。なぜこんな目に遭わなければならなかったのだろうか? 

白人側の言い分はいろいろある。
男も髪は長く、髭を生やしていないから女と区別が付かなかった。
集団で集まって何をし出すのかわからず、とても恐ろしかった。
毛布を体に被っているから、その中に銃を隠し持っていたと思われても仕方がなかった。etc...

白人側の言い分はおよそ正当防衛と治安のための行為であったと言う主張は今でも変わっていない。

しかし、幼い子供までも巻き込んだこの惨劇は無抵抗なものへ当時最も殺傷能力の強い大型の機関銃のようなものを向けたわけだから、どう考えても「虐殺」としか思えない。だが、白人側はこれによってインディアンとの戦いに終止符を撃つことができ、治安維持に繋がったのだということから、虐殺だと完全に認めているわけではない。
これは原爆を落としたことで太平洋戦争を終結させたと主張する合衆国の言い分と同じだ。

ウンデッドニーの惨劇から2~3日、大雪が降ったため、死体処理が遅れたそうだ。
有名な惨劇の写真で大地に横たわる死体は皆、雪にまみれ凍っているのはそのせいらしい。

政府軍は雪があまりに酷くて死体処理がままならなかったために放置するか布をかけるくらいしかできなかったのだそうだ。写真が取られたのは数日後の晴れた日で、ミュージアムに飾られているのはそういったカチカチに凍った死体を穴に放り投げているものや、このウンデッドニー集会にいたビッグフット酋長(ウンデッドニー惨劇での有名な写真)の雪の大地に凍ったまま倒れている姿など、たくさんの写真がある。特にビッグフット酋長のこの写真は大きく引き延ばされて飾られており、その下に設置された台には多くのセージやタバコが備えられていた。私もそこにひとつまみのセレモニータバコを置いてきた。

ミュージアムの最後の方は、1973年に起きた「ウンデッドニー占拠事件」に関する事柄のコーナーになっている。

これはそもそもスー族の男が白人になぶり殺しにされた一件から尾ひれが付いていった事件で、AIM(アメリカインディアン運動団体)が立ち上がり、BIA(インディアン管理局)やFBIを相手取って約一年以上に渡り対峙し、結果的にウンデッドニーで武装対立にまで発展した。
ラッセル・ミーンズやデニス・バンクスといった人々が中心になって、独立を宣言。
「インディアンは白人になろうとしてもがく必要はない。インディアンとして生きることを選ぼう」という呼びかけからアメリカの諸部族からもそれに賛同する人々が集まった。平和な民で有名なホピ族やナバホ族をはじめとする諸部族、他には黒人や南米の少数民族の人々も集まった。

この事件では多くの白人、インディアンが命を落としたし、多くの建物などが焼き払われたりもした。このウンデッドニー占拠事件に関してはウェブで検索すれば詳しい出来事を調べることが可能なので、興味のある方はぜひ調べてみてほしい。

今ではこのAIMのしたことが本当に良かったのかどうか疑問を投げかける人達もいる。なぜならAIMの暴走に巻き込まれ、迷惑を被った同胞インディアンの人々も少なくはなかったからだそうだ。

この事件以降武力抗争になるまでの事件は起きていないが、居留区に来ると時々思うのは、いつまた武力抗争になってもおかしくはないだろうということ。スー族の人々は特に血の気が多い。よく言えばサムライ気質のような感じだ。それに彼等は話し合いでは拉致が開かずに武力抗争になり得る事実を今でもたくさん抱えている。 ほとんどが法廷に場所を映し、武器をペンに代えてはいるが・・・。

そんな中、今年、大統領選挙があるからなのか定かではないが、ラコタの居留区自治政府は正式な書面によって再び独立を示唆する書類を合衆国に提出したらしい。今までも何度か独立を示唆することは合衆国に働きかけてきたが、このたび正式な書面による、いわゆる公示という形で行ったそうで、これは今までとはちょっと違うやりかただったというのだ。

彼等が独立を宣言するのはブラックヒルズの返還はもちろんのこと、合衆国からの保証金が居留区の人々の生活を支えるどころか腐敗を招いている現実からだ。ほかにもいろいろ理由はあるが、居留区にいて思うことは、このままでいても好転する見込みが薄いということ。広大なアメリカ合衆国のほぼ真ん中あたりに位置するこの居留区の人々が独立できるかと考えれば、それはほとんど無理に等しい。しかし、独立までいかなくとも、合衆国政府へ働きかけ、状況を少しでも良い形に前進させていく努力は必要だろう。

居留区に住む多くの人々は、現状を決して良しとはしていないし、ほとんどがあきらめのように未来に対して悲観的な人が多いのも確かだ。彼等の保険予算は削られ、病院にはろくに医者がいない。手術や高度な技術を要する疾病に対応てきる体制が無い。糖尿病や癌が蔓延し、これらの病気による死亡率が増加している。
虐待、DV、戦地から帰還した退役軍人の多いラコタ族ではPTSDも増加。さらにアルコール中毒やドラッグ中毒。
親が刑務所にいる子供達の心もまた病んでいく一方だ。
ホワイト・サンダー達の様に、伝統とスピリチュアリティを引き継いでいる人々はごく一握りに過ぎず、彼等もまた決して健康であるとは言いがたい。

しかしこれからの次代を担う子供たちだってたくさんいる。一日も早く、彼等が悲しい現実ばかりを見ず、明るい未来や希望の持てる時がくることを願ってやまない。

すべてを見終えて、ミュージアムのギフトショップでパイプボウルを入れるためのポーチやお土産を買って外に出ると、そろそろ日が暮れはじめる頃だった。閉館時間をずいぶん遅らせてくれた館長さんに感謝してラピッドシティへと向かった。

*あとがき~につづく


 
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