今日は臨床パストラルケア(スピリチュアルケア)の患者訪問記録検討スーパーヴィジョンで二子玉川の本部へと行ってきました。
台風が近づいているからちょっと寒かった・・・。

今日は私を含めて三人の参加者。そして副理事長(元聖マリアンナ大学病院看護婦長)がスーパーヴァイザーです。

その中で、お一人看護師さんがいました。同僚の看護師さんのケアについての発表でした。 そう。
スピリチュアルケアの対象は人間であれば誰だってあてはまります。

病院に入院されている患者様だけじゃなくて、病院の看護師さんや医師といった方達にだって必要とします。
ケアワーカーの方の中には、ホームレスで病気になられていたり、施設に入られている方々のところへと赴いてケアされている方もいます。
私は、今は研修で病院の患者様のお相手をさせていただいていますが、もちろんアルカディアに訪れるお客様方にだってスピリチュアルケアします。 ・・・というか、やろうって決めてやるんじゃなくて、常にそうなんですけどね。

人である以上様々な思いを抱いて、生きていますからね。
病院研修を含めて、たくさんの方と患者訪問記録の検討をするのですが、ほんとうにいろいろな人がいます。

今日私が発表したのは、病院に入院されている患者様ですが、内容はそれとはまったく別の事でした。
ご自身がお母様を看取られた時の話です。 ずっとずっと昔の話のようです。
恐らくは数十年前と言った感じでしょうか。

個人情報にかかわりますから、ブログで書く事は出来ませんが・・・この患者様に関わらず、ずっとずっと昔の出来事を引き摺られている方はたくさんいます。 病気であろうが無かろうが。
もう取り返しの出来ない事・・・終わってしまっている事・・・。
対象の人は亡くなられている。あるいは、関わった人にとっては大した事でなかったとしても本人はずっとずっと心の奥の深い次元に影を落として、人生にさえも暗がりを落としている事・・・。

私達は過去を生きるのではなく、今を生きる存在です。 
過去に起きた出来事であっても、『今』それに苦しみます。
終わった事だからなんて言葉で片付けられない事がたくさんあって、それに『今』苦しみます。
ポジティブにとか前向きにとか、考え方を変えるとか・・・言うのは簡単です。
そんな事で解決の付かない事がたくさんあります。  

スピリチュアルケアは心理療法とは次元が違います。時に このように遠く過ぎてしまったけれど今でもその方の中で影を落としている様な事柄をご本人の中で認識を変えたり気付きを促したりという心理学特有のアプ ローチもしますので、 心理療法で終わってしまう事もあるけれど、さらにそこから深く、感謝や祈りに昇華させられる事もあります。

一期一会ともなれば、その中での本物の出会いは本物の自分からでしか産まれてきません。
その時、自分の中にあるものだけが試されます。 

とってつけのハウツーなんてまったく通用しない。

そしてとりもなおさず、お手本も正解も無いのがスピリチュアルケア。 

でも、こうして研修を重ねていって、それでも少しずつ何かが変わってきました。自分のね。
「自分の中にある物だけが試されるケア」 ということがよくわかったから、気負ったって、背伸びしたってしょうがない。
ただただ、その時自分が出来うる最善を尽くすしか無いわけで。  
その中でなにか起きたとしても、それもまた自分の最善と判断し選択した事への自己責任。
だったら、本物の自分としてできることをするしかないわけです。
だからこそ、それ以上の事は祈り、神に委ねるしかないという気持ちになります。 そうなると力が抜けてくる。

『恐れ』が、大いなる存在と共にある『畏れ』によって消え去ると『委ねる』が生じてくる・・・・・って思うんです。
そこまでちゃんといけていたら、色々な事がもっと見えてくる筈なんですけど・・・ね。
まだまだ至らないなぁ~。

で、今日はスーパーヴィジョンで、おせんべいとかチョコとか出して下さったんですけど・・・残念ながら今はまだ硬い物がかじれなくって(iдi)  食べられる様になったら食べましょうって、いくつかもらって帰ってきました♪
お菓子が冷蔵庫に飾ってあります(笑)