けら’s ブログ 誰か知る 百尺下の水の心

けら’s ブログ 誰か知る 百尺下の水の心

氣になった記事を自分の覚えのためにご紹介をしています。一種の思考訓練の場と考えております。いろいろご意見あろうかと思いますが、突飛な話とお考えの向きは、ファンタジーだと思ってご照覧くださいませ(^^)ノ

 

 

マドモアゼル・愛  

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「来年の1月からアメリカ元大統領オバマの裁判が始まるとのことです。ついに訴追され、裁かれる立場にたったオバマ氏。罪名は国家反逆罪他となりますので、場合によっては重大な結果になる可能性があります。 もっと重要なのは、裁判のいきさつで何が行われていたのかの内容がわかってくることです。そうした情報は私たちの意識を大きく変えうるものとなるでしょう。ここにおいて、古い時代がどういう時代だったのかを私たちに知らせると同時に、これから私たちは違った生き方をしないと未来がない、、、というスタート地点に立たされることになると思います。 一言でいうと、本当の才能が試される時代になるとも言えます。ただし、才能というのは、これまで言われてきたような内容ではなく、その人にしかない特殊なもの、個性、考えや感性も含みますので、これまで言われてきたような才能とはニュアンスが違い、誰もが自分に正直になりさえすれば出てくるもの、それによってつくられるもの、、、、と幅広い可能性になるでしょう。 それは一言で言って、自由な時代と言えます。個々が自由に生きられる時代は、個々が自由に何かをすることで、生計を立てるイメージですから、何時間働けばいくらもらえる、、、就職すればどうにかなる、、、という安全イメージはむしろなくなっていくと思います。 その境目が2026年になるので、何より私たちは自分自身を研究する必要が出てきます。何をしているのが幸福なのか、、、自己実現に近い生き方の追及がカギを握ることになるわけです。 

 

#裁かれるオバマ #中身が空っぽだったAI投資 #鬼城とAI空洞化 」
 

 

 

 

マドモアゼル・愛  

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「すべては心の奥にあるイメージや印象が元になって現実が作られて行きます。冬至は一年の中で一番、そうしたことに適した時期で、45日後の立春まで続く、重要なイメージ創造期間です。  この時を生かせず、外界の現象の流れに任せて生きていくだけだと、一年はあっという間に終えてしまいます。年齢が行くほど、一年がたつのを早く感じるのは、こうした原理が働いているからです。  心の中に温められたイメージがあると、それは形となり計画ともなり現実をもたらします。そうして生きた一年は、子供時代のようにとても長く感じられるようになります。  一年の長さは印象によってずい分と変わるわけで、長生きには限界がありますが、一年の体感を限りなく伸ばすことは可能なのです。  それは、心の中に暖めた心象やイメージや突き動かすものがあるかどうか。それにもっとも適した時期が、冬至から立春に至る45日間です。  ですので、この時期は良い音楽を聴いたり、仕事と関係ないが興味ある本を読んだりし、心の印象を持つことが、次の年のあなたの行動を後押しする原動力として働いてくれます。  結局、人間は心の中の深い部分で感じ取った何等かの印象を持っているかどうかで、行動が決まるわけです。生きている時間を長く感じるのも同じ理由です。  今の段階ではイメージだけでいいので、具体性はまだなくてもいいのです。なので良い印象を抱ける何等かのものを大切にし、心を育てる時期として、今日の冬至からしばらくの合間を暮らしてみてはどうでしょうか。  ただ今、もう一つの私の番組のAI(愛)ラジオで、23.24の両日、クリスマス讃美歌を歌いますので、ぜひ、日ごろあまり触れることのない讃美歌のクリスマスイメージに触れていただけたら幸いです。共に冬至近辺を楽しみたいと思っています。

 

 

 マドモアゼル・愛  

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「子供の絵を見ていると、巨匠以上の命の輝きがあふれている絵がいっぱいあります。本物の芸術ですが、大人になっていくに従って、つまらない絵になっていってしまう。うまい絵にはなるものの、つまらなさが出てくる。  学問の限界が芸術にもあるのでしょうか。私も合唱団を運営させていただいていますが、独特の味が何となく出てきているように思います。では、うまくなったのか、、、というと、たいして上達はしていないかもしれないけど、味わいが出てきている、、、  合唱を学問的に見るか、文化として捉えるかは、子供の絵を見て命の躍動を重視するか、テクニックについてさらに学ばさせるか、、、という対応の違いにも共通すると思います。  私は普通の人の中にある心の躍動や思いを重視したいので、祈りの歌を歌う合唱、、と位置付けています。テクニックとしてももちろん上達していかねばとは当然思いますが、そのことで命が削られないようにしないと、と常々思っています。  合唱や絵画はあくまで例ですが、私たち人間は、最初は素直に明るくまっすぐに生きて行きます。しかし、人生のどこかで、思わぬ暴力に出会う、思わぬショックに出会う、もの凄い批難に出会う、、、そうしたショックを受けた時、これまでのまっすぐでフラットな世界にゆがみが生じてしまい、私たちはもう前のような自分の世界に戻れないまま、生きることになってしまう、、、、そうした事象が非常に多いように思うのです。  そうなると、ゆがんだ空間認識のまま自分の人生を生きていくことになるので、疲れる、意地悪くなる、不機嫌になる、おびえる、従属してしまう、、、結局自分の芸術どころか、文化的生き方ができない人間になっていく。これが不幸の本質にあるように思います。  大晦日には大祓えがあり、時には無礼講のお祭りがあり、大笑いすることがある、、、そうした機会を使って私たちはゆがんだ時空間をまた元の空間認識に戻していく必要があるわけです。  まさに文化の役割です。文化と学問は微妙な位置関係にありますが、文化的喜びが最初になければ、まったく意味はないのです。ゆがんだ空間に生きる時、約束事が先に来てしまう、、、そして自分自身がどこかでゆがんだままの生涯となる。これを避ける必要が現代人にはとくにあるように思います。 結局現代人はこれが正しいと言わんばかりの学問によって、命を削られて行ったのだと思います。それを修正していくところに、これからの生き方や社会の在り方、そしてビジネスの成功すらそのラインにあるわけです。  このことが分からない経営者や学問世界は、段々と魅力ないものになっていくでしょう。(動画内できょうが木曜とボケたことを言っていますが、水曜日の間違いでした)  

 

#祈りの歌 #ゆがんだ空間を元に戻す #文化的喜びが生きる基本 」

 

 

マドモアゼル・愛  

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「東京に来るとただいるだけで疲れる、、、と地方の方がおっしゃることがよくあります。それは、東京という空間が物質的であり、ゆがみを生じている面が多いからではないでしょうか。  家庭でも会社でも同様の構図で考えることができます。引力の強い物質的な影響力の強い人が存在感を醸し出している場では、空間のゆがみが大きくなっています。そのため、私たちは空間のゆがみがひどい家庭や学校や会社にいると、非常に不幸なわけです。  呼吸が自然にできないような存在自体が不自然な傾きの中で生きるしかなくなる、、、、母親がいつも怒鳴っている、、、上司に暖かみがなくそれでいて権力や力を誇示する、、、そんな空間にいると、私たちはいつしか体や心を病みやすくなります。ゆがんだ空間にいることが実は不幸なのです。  それは物質化が激しいところでは、それに伴う意識や感情が付帯しますので、空間は大きくゆがみます。共産主義は物質主義であり、それに付帯する権力構造を伴いますので、空間のゆがみはかなり大きくなっていると思います。大きな不幸が予測されるわけです。  空間のゆがみは私たちのあらゆる苦痛や病気と深く関係するので、生き方を考える場合、ゆがんだ空間で暮らすことは避けるようにすることが大切です。  先日、土橋先生と反重力について語ったライブ動画があったと思いますが、その中で話させていただきました、半重力情報水ピコバブル化スプレーの発売を本日より開始いたしました。下記で取り扱っております。 

 

公式SHOP http://hoshitomori.net/  

反重力という立場から眺めると、この世の構造がよくわかるし、どうすれば私たちはもっと自由で楽に生きられるかの視点もはっきりしてくると思います。大きな時代の変革のさ中に突然現実を帯びて来た土橋重隆先生の反重力の世界について、本日はお話しさせていただきました。  

 

#ピコ水 #反重力情報 #重力からフラットになる生き方 」

 

 

マドモアゼル・愛  

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「お金一辺倒の世界はもうすぐ壊れると思います。おそらく来年はインフレがもう決定しているような状況ですので、今夜のアメリカの通貨当局の発表にもよりますが、インフレに舵を切ることは規定路線ではないでしょうか。  とは言え、本日の話しの内容は経済や金融ではなく、もっと深いところで私たちを支えているものがあり、それを無視した人生設計も人生の安寧もないのでは、、、、という話しになります。  子供時代の安心、学校時代の楽しさ、場合によっては会社務めの喜び、もしそうした思いがおありなら、そうした時代は、あなたの関わるものが、あなたを支える文化的背景を持っていたのだと思います。  仕事がつら過ぎる、、、学校がいやで仕方ない、、、家にいるのがつらい、、、それは、個々に何等かの問題があるというよりも、文化的な背景があなた自身を支えるまでに至っていないということでもあります。  私たちの心の安心や安寧は、そこにある文化的背景と自分とが一体となれるかどうかにかかっています。安心できない場所や環境は自分の文化的背景にはなりません。  私たちの幸福はどこで暮らすか、、、の一点にかかっていると言ってもよいでしょう。その場所や環境が文化的な形で受け入れることができないことが、不幸なことなのです。  命は環境と切り離すことはできません。それを、生命の平等という頭でっかちな一般論を出して世界を破壊しようとしたのが、この数十年のグローバリズだったと言えるでしょう。  民族を集団で移住させ、文化的対立をあおって社会を不安定にさせる手法は、まさに悪い意味で効果的でした。しかしそうした試みは地域を破壊するだけであることがもうわかったと思います。  これから、金融も荒れ、あらゆる国家的政策も解決にならない時代が訪れるでしょうが、次なる方向性の基本になるものは、まさに私たちは文化的背景を失ってはいけない、、、ということです。文化的背景を伴う生き方へシフトしていくことを、考えの中心に置けば、わりと迷わずに自分の人生設計ができるようになるでしょう。来年以降、とくにそうした決断が重要になるように思います。  

 

#文化的争いが血の争いを招く #見直される日本的なもの #人類に共通する文化的背景は何か 」