今回の1番行きたかった場所
友達が雅治くんLIVEに 
誘ってくれたお陰で
行けた
雅治くんLIVEが東京ドームであったなら
行けてなかったと思う
横浜だったから行けた

ご縁を繋ぐのも勇気がいる
心のまま行きたいところへ
行くタイプだけど
それでも躊躇してしまうことが多々ある
今年は特にダブル受験なのに
呑気な私で良いのだろうかと
やはり考えてしまうかな(笑)

さて、本題に戻ろう(笑)
鎌倉駅でレンタサイクル借りたけど
借りる時に目的地を言うと
大丈夫かな?って
言われた
その意味が分かったのは
坂道が凄いということ
本当にしんどかった
山越えのような坂
これは修行だった(笑)
ヘトヘトになりながら
たどり着いた



東慶寺

東慶寺(とうけいじ)は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は東慶総持禅寺。寺伝では開基は北条貞時開山覚山尼と伝える。現在は円覚寺末の男僧の寺であるが、開山以来明治に至るまで本山を持たない独立した尼寺で、室町時代後期には住持は御所様と呼ばれ、江戸時代には寺を松岡御所とも称した特殊な格式のある寺であった[注 1]。また江戸時代には群馬県満徳寺と共に幕府寺社奉行も承認する縁切寺として知られ、女性の離婚に対する家庭裁判所の役割も果たしていた。


東慶寺に残る過去帳等によれば「開山潮音院覚山志道和尚」とある[1]覚山尼安達義景の娘で、鎌倉幕府の第8代執権北条時宗の夫人である。

1284年(弘安7年)4月、北条時宗の臨終の間際、無学祖元を導師として夫婦揃って落髪(出家)し、覚山志道大姉と安名し[2][3]。そして翌1285年(弘安8年)に第9代執権・北条貞時を開基、覚山尼を開山として当寺は建立されたと伝える[4]

ただしそう伝える東慶寺の古文書は江戸時代のものであり、現存する古文書で覚山尼を東慶寺開山とするもっとも古いものは戦国時代天文頃の『五山記考異』である[5][6][注 2]

鎌倉時代の東慶寺に関する確実な史料は梵鐘の銘文である。鎌倉幕府滅亡前年の1332年(元徳4年)に東慶寺の梵鐘が完成した。ただし今は東慶寺にはなく、静岡県韮山の本立寺にある[7][8][注 3]。その銘文によると大檀那は覚山尼の子、9代執権北条貞時の妻覚海円成である。住持に果庵了道の名があり[注 4]

他に首座(しゅそ)比丘尼、都寺(つうず)比丘尼の名も見える[注 5]。このことから東慶寺は鎌倉時代からあり、かなりの規模を持つ北条得宗家ゆかりの尼寺であったことは確実とされる[9][注 6]

Wikipediaより


女性の駆け込み寺とされた場所

こんな山の上にあるから

たどり着くのも大変だったんだろう

ここに私の憧れている

水月観音様がいる

水月観音様に会うには予約が必要で

時間もあった

時間まで境内を見て回った












御本尊釈迦如来様
とても優しいお顔をされてます

ゆっくりとお参りさせて
いただきました

そしていよいよ憧れの水月観音様

質素な建物の一室に
通された


会いたくて仕方なかった
観音様
やっと会えました
水月観音様
(画像はお借りしました)

優しい表情の観音様でした
説明もして下さって
ゆっくりとお参り出来ました
ご縁に感謝でした
またゆっくりとお参りしたいお寺です





いつもありがとう♪