$天狼星のきまぐれ-三島由紀夫その1



今から、41年前の昭和45年に、自決された三島由紀夫氏が、同年7月7日付の「サンケイ新聞夕刊」において、「果たし得ていない約束」という寄稿文を掲載しました。
 その寄稿文の最後に、

「私はこれからの日本に対して希望をつなぐ事はできない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないのかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済大国が極東の一角に残るであろう。」

と記載されております。

当時は、戦後25年。高度成長時代の途中で、また、学生運動が盛んな時代背景もありました。

振り返って41年後の現在。三島氏が記載された通りの、日本の姿が出来上がってしまいました。

 政治は混迷し、諸外国からの領土侵犯をされても抗議も何もできなく、また、未曽有の災害に適切な政治手腕が取れない政権が誕生し、国民は、自己中心主義となり、「金さえあれば何でも買える」といった拝金主義となってしまいました。

 三島氏については、大学生時代から、興味関心があったのですが、その時は、三島氏の論文は、あまりにも難し過ぎて、「金閣寺」等の小説を読んでおりました。

今、改めて、三島氏が書かれた論文を、読み直していきたいと思います。



文化防衛論 (ちくま文庫)/三島 由紀夫

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まずは、「果たし得ていない約束」が掲載されているこの本から。


そして、三島氏の自決時の最後の演説の映像を










なお、演説時に掲揚された、いわゆる「檄文(げきぶん)」は、以下の通りです。




「われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。

かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。
 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
 われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。




 三島由紀夫                                      」



以前、書いた「ソープへ行け!」・・・天下の暴論・その2」の続編です。

 http://ameblo.jp/sirius2012/entry-10856208590.html


「週刊ポスト」の5月20日号に、北方謙三氏の「試みの地平線」伝説という記事が掲載されていました。

                    


                        天狼星のきまぐれ-試みの地平線


 「試みの地平線」が連載されたのは、1986年1月から2002年6月までの、足掛け16年と半年。掲載回数は、395回にのぼるそうです。


 北方氏は、1947年生まれなので、当初の掲載時点では、39歳ということになります。

 北方氏は、今年で63歳になられたのですが、この掲載された記事を拝見する限り、20年前のパワーがそのままみなぎっています。


 ちなみに、北方氏の名言(暴言)の「ソープに行け!」は、395回中、4回しか発言されていないとのこと。

 また、やはり当時でも、過激な発言には、抗議が寄せられていたようで、(当たりまえと言えば、当たり前なのでしょうが。)その、抗議をそのまま掲載してしまうなど、やはり過激な「人生相談」でした。


 大抗議があったのは、相談者が「北方先生に、ソープに行けって言われたんで、ソープに行ったら、エイズにかかりました。責任を取ってくれますか?」

との相談に、北方氏は「そうなったら、それは運命だから出家しろ。」との回答で、講談社の社長さんにまで、抗議の手紙がバンバンと送られたそうで・・・・


まぁ、他人に「ソープに行けって」言われて、エイズにかかってしまい、それを「責任を取ってくれますか?」という、相談するほうもどうかと思いますが・・・・


 批判が多かった「人生相談」でしたが、16年間も続いていたのには、それなりの意義があったことでしょう。


 20年前に、北方氏から、「小僧ども」と呼ばれていた、僕ら世代も、当時の北方氏の年代になってしまいました。

 しかし、今の僕ら世代が、15~23歳位の男の子を、「小僧ども」と果たして言えるかどうか疑問です。


「男の誇り、自分が男であることへのこだわり、痩せ我慢」。

「俺は男だ」と呟き、「自分が生きている事の意味を」考えろ。


 20年前からの北方氏からのメッセージは、今も心に深く刻まれています。

北方氏が63歳になっても、40歳と同じだけのパワーをもっていられるように、

自分も、素敵にかつ真剣に、年齢を重ねていきたいと思います。


 




試みの地平線 伝説復活編 (講談社文庫)/北方 謙三
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 本日、北海道の総鎮守様であります、「北海道神宮 奉賛会大祭」に、参列いたしました。


 宮司様をはじめとした神職の皆様方の「祝詞」を拝し、「雅楽」と巫女様による「舞」を奉納されまして、大祭は、滞りなく終了いたしました。

 やはり、ライブで、拝見する、「雅楽」と巫女様の優雅な「舞」は、とっても素敵ですね。


「雅楽」の曲で、「越天楽(えてんらく)」を





巫女様の「舞」は、北海道神宮様の「舞」が見つからないので、他の神社様の巫女様の舞で御勘弁を。








天狼星のきまぐれ-土方歳三3


天狼星のきまぐれ-土方歳三2


天狼星のきまぐれ-土方歳三1


本日、5月11日は、新撰組副長・土方歳三さんの、御命日です。


(以前の記事にも述べましたが、このころはまだ、旧暦が使用されておりましたので、今年の旧暦の5月11日は、6月21日となります。)





 多摩の百姓の出身でありながら、当時の「武士」より、「武士」であり、戦いに戦って、最後は、蝦夷地の箱舘まで北上しても、戦い続けて、最期まで「武士」だった副長。


 


 副長と戦った、「明治政府」は、結局、「大東亞戰争」で、誰も責任を取らずに亞米利加合衆國政府に負けてしまい、その後、亞米利加合衆國政府の属國と等しくなり、またもや「誰も責任を取らない」政府が誕生してしまいました。

 副長が、お亡くなりになられて、142年。

 副長が、今のこの國を御覧になられたら、さぞかし、御嘆きになられることでしょうね。

 しかし、副長がお持ちになられた、「義」の心だけは、後世に伝えてまいります。

 安らかに、お休みになられてくださいませ。

 



いつものように「土方歳三」さんの、詳しい事は、ウィキで左下矢印

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E6%96%B9%E6%AD%B3%E4%B8%89





札幌にも、ようやく桜前線が到着しました。やはり、桜の花は綺麗ですね。

桜ソングで、「いきものがかり」さんの「SAKURA」





「宇多田ヒカル」さんで、「SAKURAドロップス」



天狼星のきまぐれ-ドリームカード


 今日は、ずっと以前に購入していた、「DREAM CARDS」というカードを、初めて使用してみました。


 浅見帆帆子さんってエッセイストさんが作成したカードです。



天狼星のきまぐれ-リーディング


リーディング結果は、「11 自然のパワーをうけとろう」でした。


 このカードは、浅見帆帆子さんの「宇宙につながると 夢はかなう」

という本に、リンクされており、


宇宙につながると夢はかなう~さらに強運になる33の方法~/浅見 帆帆子
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 カードのガイドブックと、この本の該当のページを読めば、今必要なメッセージが書かれています。この本は、カードが33枚で、カードと同じ番号に詳しく解説されています。


 カードもとっても可愛いイラストで、メッセージも「リーディング」の解釈が単純に感じました。


 本単体でも、とても為になることが書いてあります。



 リーディングカードに、優劣をつける気は毛頭ありませんが、

このリーディングカードは、引いたままのカードのメッセージが受け止められて、原則、ネガティブなことは、書いていないので、「ほんわり」としたメッセージが欲しい時や、入門者向けのカードなのかな?って感じました。













$天狼星のきまぐれ-カーネーション


今日は、母の日です。

僕の母も、65歳を過ぎて、いろいろと身体に「ガタ」がきています。

僕が、まだまだ「ガキ」の頃、「やんちゃ」だったため、いろいろと母に心配させたのも、今の「ガタ」の、大きな原因と反省しています。

連休中に、実家に帰省した際も、母は体調を崩して、病院に付き添ってきました。
離れて住んでいるので、「母の日」の贈り物として、心ばかりの「カラーの花」を贈りました。




$天狼星のきまぐれ-カラーの花


「母の日」に限らず、できるだけの親孝行をしたいです。


「母の日」ということで、この2曲を。


「海援隊のみなさん」で、「母に捧げるバラード」






「さだまさし」さんで、「無縁坂」