人生一度っきり。

最近、この言葉についてよく考える。

もう45歳も過ぎたし、このままの自分で良いのだろうか、死ぬ間際に後悔しないだろうかと思う。

つい考えがちなのは、どこかにもっと素敵な人生というものが転がっていて、そっちに乗り換えられないかな、っということである。

しかしながら、今の自分が置かれている状況は誰かの指図でたどり着いた結果でもなく、その時々において自分自身が取捨選択してきた結果なのである。

だから、よそに素敵な人生があるだろうと考えることは、結局自分の出してきた答えに責任を持たないことと同じと言える。

分かっていながら、そういう思考をしてしまうのが自分の弱さなのかもしれない。

一番良いのはこれまでの人生の延長線上により良い未来を描くことなんだろうとは思う。

一発逆転の人生は有り得ないから愚鈍に一歩一歩進んで少しずつ方向性を変えていかなければならない。

まずは明日から。

頑張らないと。
6月に父の顔が腫れ入院しました。検査の結果、蓄膿とかできる場所にガンがあることがわかりました。放射線治療と抗がん剤を使って3ヶ月くらい入院していました。

退院して顔の腫れも目立たないようになり、一安心していたのですが、今月肩の腫瘍を取るために再度入院して内臓の検査もしたところ、肝臓とリンパにガンがある事がわかりました。

もうだめだと決まったわけではないのですが、気持ちが重いです。

以前もブログに書いたのですが、父は裕福な家に生まれ、勉強もできました。世間では一流と言われる企業で働き、3人の子供を何不自由なく育て大学に入れました。

稼ぎも相当あったようですが、自分のことには殆ど使わず家族のために尽くした人生を送ってきました。

今この時になっても、父にとっての本当の喜びがなんであったか僕には理解できていません。

家族の笑顔でしょうか。

僕は冴えない生活を送っており、色々と問題も抱えています。父の喜びが子供達の成長を見守ることであったとするならば、正直申し訳ない気持ちでいっぱいです。

父が大切にしてきたこと、一番の喜び、本当の幸いなど正面切って聞くのはどうかと思いますが、父の姿に迫りたいです。

成人して以来、2人で酒を酌み交わしたこともなく、いつまでも自分の中では僕の人生の遥か上をいく父親であったがために、これまで腹を割って話をしたことがないのが残念です。

まだ時間はあると思うのですが、改まってこんな会話をすると父はどう思うでしょうか。

父は三重大病院に入院しており、僕は名古屋に住んでいるので、会えない距離ではないのですが、コロナのこともあり、母親からお見舞いは不要と言われていました。

しかしながら、僕のこれからの人生の中で父親という存在を心に留め置いて生きていくならば、もっと父親に近づいておきたいのです。


最近、自分の歳を意識することが多くなった。
きっかけは白髪だったが、これはまだ序ノ口だった。

次は老眼。眼鏡を遠近両用にした時、ハッキリと自分はもう若くないと悟った。

そしてトドメが四十肩。腕がまったく上がらなくなった。シャツを着たりバックパックを背負うたび悲鳴をあげている。

四十肩があまりに酷いので、今週会社を休んで整形外科に行くつもりであったが、金曜日までこの痛みが続くのかと思って、藁にすがる気持ちで薬局で湿布を買ってきた。

お風呂上がりに貼ってみたら、効果の凄いこと!ジワジワ薬効成分が染み込んでくるような感じがした。腕もクルクル動く。

これまで湿布を貼ったことは何度もあったが、こんなに効果を実感したのは初めてだった。

これは文明の利器?だわ。高いけど。

少し明るい気持ちになれた。

仕事も痛みを我慢しながらだと苦痛だったが、明日は頑張れそう。