お盆も終わりですね![]()
昨日の8月15日は終戦記念日でした。
1945年(昭和20年)のこの日、第二次世界大戦が終結したことが国民に伝えられました。正式には「戦没者を追悼し平和を祈念する日」と呼ばれています。
私の父は結婚したのが40代だったこともあり、私の同級生の親世代よりもずっと年上でした。10代半ばで太平洋戦争の時代を経験しています。
生まれつき体が弱かった父は出征を免れましたが、当時の友人は特攻隊として旅立ち、帰らぬ人となったと話してました。もし父が健康で特攻隊になっていたら、私はこの世に生まれていなかったかもしれません。
そんな父が亡くなってから5年。今年の夏は母の初盆でした。
実家の寺から呼ばれることもなく、姉からの連絡もありませんでした。これまでも色々と確執はありましたが、毎度のことなので心は落ち着いています。
父の後任の住職や信者の方々は、お盆の行事とあわせて母の初盆も一度に済ませたのでしょう。相手や遺族の気持ちに寄り添うことよりも、自分たちの都合のみ優先するやり方は、父の時と変わりません。
姉は今も寺に残り、そうした環境の中で上手く折り合いをつけて暮らしています。要領がよく、理不尽な攻撃を受けることもなかった姉。
そんな姉とは対照的に、昔からなぜか私ばかりが、寺の中で理不尽な思いをさせられることが多くありました。
もうこれ以上、関わって嫌な思いをするのも不毛なので、「まぁいいわ」と流すことにしました。
今年の盆もこちらの家で、旦那さんと二人でご先祖様に静かに手を合わせました。
旦那さんも、「わざわざ嫌な思いをしに帰る必要はないよ。思いやりのない人たちとは距離を置いていいんだから」と言ってくれました。
住職だった父が亡くなり、昨年の秋には母も旅立ちました。
そして私は結婚した、それだけで私を悪者扱いするような人たちとは、もう完全にお別れです。
ここ数年、物理的には寺と離れていたものの、どこか心の奥に引っかかっていた重り。
振り返ってみても、私はあの人たちに対して何ひとつ悪いことはしていません。むしろ一方的に理不尽な言葉や攻撃を受け続けてきた側でした。身勝手な振る舞いに振り回されるほど、私の人生は暇ではありません。
寺の娘としての役割は、50年近く十分に果たしてきました。
もう理不尽な寺の連中に遠慮はしない![]()
誰にも自分の心を振り回させない![]()
今、旦那さんと穏やかで平和な日常を送っている。それだけが私の大切な事実です。
このささやかで平和な日常に辿り着くまでの、私の本当の物語が始まったのは、ツインレイ僧侶との出会いからでした。本来の自分が何者であったのかを、少しずつ思い出していったのです。
彼と出会ってから10年![]()
今世で一緒になることではなく、それぞれの場所でそれぞれの役割を果たす道を二人は選びました。それはお互いの魂を深いところで信頼しているからこそできた選択です。
ツインレイの魂はどんな時も繋がっていて、過去も未来も超越して常にひとつ。切っても切り離せない絆。
「物理的に一緒になりたい」という想いが人間の小さなエゴだったと心の底から腑に落ちた時、自分の心が驚くほど楽になりました。
今の私は苦痛だった寺の生活に終止符を打ち、旦那さんと穏やかな日常で幸せに暮らしています。
私の相方である魂よ、
こちらの心配はせずに
どうかあなたも幸せでいてください![]()
目醒めを迎えてから、私の周りの環境や人間関係は目まぐるしく変化していきました。
心の奥にあった荷物を整理するように、自分にとって必要なものとそうでないものが、自然と分かれていったのです。
物事を客観的に俯瞰して見られるようになり、視界はこれまでにないほどクリアになりました。
自分を優位に見せようと静かにマウントをとってくる人、ワガママで周りを振り回す人、私の優しさを都合よく利用しようとする人……。
昔の自分であれば、「私にも悪いところがあるかもしれない」と遠慮して受け止めていましたが、自分を雑に扱う人や軽視するような関係からは、そっと距離を置くことにしました。
自分に合わなくなったコミュニティからも離れ、不要なものが削ぎ落とされていく感覚がありました。
限られた自分の心のスペースに、抱えきれないほどの荷物を詰め込んでいたら、前に進めなくなるのは当然です。
自分の気持ちは本当はどうなのか?
自分はどうしたいのか?
相手だけでなく、「自分を大切に扱う」ことを心掛けるようになりました。
これからも私は、自分が心地よいと感じられる、心を軽やかにしてくれる選択をしながら暮らしていきます![]()
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ご先祖様への感謝を胸に、今目の前にあるあたたかな日常を、これからも大切に紡いでいきたいと思います。
「私の世界は、愛と安心♡豊さだけ
」