私が子供だった頃は

共働きの世帯は珍しく

女性で働きに出ている方は

看護師さんや先生の様な職業に

限定されていました


大概の女性は家にいて

家計を切り盛りし

ご近所付き合いを大切にしていました


困った時はお互い様の精神が

根底にあったので


お隣同士

調味料の貸し借りや、留守中に届いた荷物を預かるなど自然とやっていました





町内会で集まり

美化運動をする事もあったかと思います


いつから人との距離が

これ程遠くなってしまったのか

はっきりとは分かりませんが


気づいたら

自分の身近な親戚、親しい知人以外は

関係ない人だと言う意識に変わって行ってしまったのだと思います


中村雅俊さんの歌ではありませんが

人は皆、一人では生きていけません

知らない誰かの支えがあってこそ

社会が成り立っています・・・


独り勝ちしたと錯覚していても

社会全体が衰退しては立ち行かなる事は

目に見えています



競い合う社会となってから

人よりもより豊かな暮らしを追い求め


自分さえ良ければ

それで良いと言った考えが定着し

人を騙して搾取しても構わないのだと言う

殺伐とした世の中に変わってしまった様に

思います


アナログからデジタル


無駄を極力省き、人を介さず簡略化する

方向へシフトしたことにより


血の通った人との交流も減り

企業としての応対もマニュアル通り

ロボットの様に

融通が効かない体制へと

移り変わって行きました


私が始めて社会に出たのは

銀行員としてでした


当時は当たり前にやっていた業務に

近年かなりの手数料を取られることに驚き

窓口で「えっ!ぼったくりじゃない?」と思わず声に出してしまいましたてへぺろ


便利な世の中ではありますが

人としての温かみを感じる機会が減った

ことで

人として貧しくなった感覚があります


そんな世の中を一変し

気づきをもたらす為に

コロナ禍パンデミックが起こったのではないかと思います


悲しいかな人は

辛い事に直面しないと変われないのです


喜びは一瞬で記憶から消えますが

辛く悲しい出来事は

教訓として深く胸に刻まれる様に

出来ています


権力者は好き放題、傍若無人に振る舞い

弱者に対しては酷い扱いをしても

構わないのだと言う構造を崩壊させ

1から作り直す為だったのでは

ないでしょうか?


人々が共生し、争いがなかったとされる

縄文時代は、利他の精神が根づき精神性が高い調和の時代でした


宇宙のサイクルが一周し

縄文時代と同じ頃の流れが

巡って来ているとされる今


世の中が破壊再生される切り替わりの

場所に立ち、時代の変化を見届けるため

地球へと降り立った私達は

運命共同体です


ほんの少しの思いやりが

周りへと伝播し、大きなうねりとなる力を

持っている事を知り

互いへの愛を向けて行って頂けたらと

願っています飛び出すハート



ブログを読んで頂き有難うございます✨