もう気がつけば今年も11月も残り3日
そしたらもう師走…今年はとにかく色々あって
日々の流れが早かったような
というか毎日のほとんどが
仕事オンリーで他のことに目が行かない❗️って
のが現状かな~🥹
そして体はいつもヘロヘロで疲れてて
せっかくの休みに外出すらする気力がなくて
(これ全てコロナのワクチンの性とか🤔ソウナノ
私は年とともにやってきた
やる気のスイッチの老化だと思うけど

そして昨日撮りだめ映画のひとつ
『TELL ME~hideと見た景色』を見た
知ってる方は”今さらって~”なのかも
でも私は今見たんです!
そして私はけしてhideさんのファンでは
ありませんがhideさんが生前
難病の少女との繋がり放送を見る機会があり
それまでのhideさんが所属するXJapanの
存在は知ってましたがその存在と
hideさんのその行動が繋がらなかった!

難病であるGM1ガングリオシドーシスと闘っていた貴志真由子さん。世界で23例目の難病で、医師からは20歳まで生きるのは難しいと言われていた。闘病最中の95年、真由子さんは難病の子どもたちの夢を叶える団体「メイク・ア・ウィッシュ・オブ・ジャパン」の支援で「憧れの人であるhideと会う」という夢を叶えた。

そしてその繋がりはhideさんが亡くなる時まで
続いていたという~
その時もhideさんの言う人の心根の優しさ
みたいなことをとても感じました!

今回見た映画は

1998年5月2日、X JAPANのギタリストとして、ソロアーティスト(hide with Spread Beaver/zilch)として活躍していた、日本を代表するロックミュージシャンhideが急逝。葬儀には約5万人が訪れ、日本中が早すぎる別れに涙し社会現象に。制作途中だったアルバム、そして既に決定していた全国ツアー、hideの音楽を世に届けたい。hideのマネージャーを務める弟・松本裕士(ひろし)は、兄の意志を形にすべく、hideと二人で楽曲を制作していたhideの共同プロデューサーI.N.A.ら仲間たちととに動き出す。hide本人不在という異例の状況下で奮闘する裕士とI.N.A.だったが、彼らの前に様々なも困難が立ちはだかる…。



やはり本人の実の弟さんの思いって

凄いですよね!自分とは違う存在であっても

その想いが大きければ大きくて深ければ

本人が夢半ばでやりたい事を

成し遂げられないまま

そして一般的に自死とされたままでいることの

悔しさやそれは違うと声を上げたい気持ち

それってそういう存在の方なら当然のこと

そこいらへんが春馬君と重なってもう

涙が自然に出てきて( ߹ᯅ߹ )‪

そしてご両親のもうhideさんのことは

そっとしておいてって思う気持ちもわかる気が

だけどhideさんの音楽への強い思い

それがわかっている人にしてみれば

何も行動に起こさないではいられないって

ことなんだと思う~


hideさんの葬儀は例の築地本願寺で

行われましたがお墓はちゃんと御家族の

意向のお墓なんですよね!

春馬君のお母様も色んな思いがあるのでしょが…

でもせめて春馬君が安心していられる

そんな場所に…

(もうそんな場所に春馬君入るのかも)

でも私はまだそこには

お参りには行きたくない気持ち

だって春馬君はまだアソコやアチラに

きっと出没していると思うから!



またこんなこと描くと

”陰謀論者”って言われるかもだけど…


私も今年は大好きな友達や

仲良しの従兄弟を見送ってお別れしたんで

2人は病気で亡くなりましたから

私としてもそれとなくの諦め

(でも本人達はまだまだ生きたかったと思う)


hideさんの弟さんは

死因は《事故》だったとはっきり言われてた

弟さんは最後にhideさんと別れたその姿が

忘れられないと…なんであの時

一緒について行かなかったのか…と

最後を知ってる方ならば

そんな悔しい思いはわかります!


だからこそ春馬君にはなぜ

そう言ってくれる人が誰も居ないのか

もっと「春馬はそんな事するヤツじゃない」って

「最後に会った時はあんな事話した」とか

「あの時はこんな事言ってたな」とかね

もっと沢山春馬君の事を聴きたいのに…

あまりにも突然パッと消えてなくなった事が

そして誰もが何も話してくれない事が

不思議で悲しくい~悔しい。 °(°´ᯅ`°)° 。


もう3年もの月日がたってはしまったけれど

今でも春馬君の事まだ異国で楽しくしている

今にきっとなんか連絡が来る~なんって

思わずにはいられない気持ちがあります

だってまだまだ春馬君

やりたい事沢山あったんだもんね