〇風月抄「9月9日」重陽の節句
今日、9月9日は平安時代から「重陽の節句」として菊合わせの行事が行われていました。この日、宮中の清涼殿の前で一対の菊の花壇をこしらえて文武百官がその菊の花を愛でて歌を詠み、それが終わると菊酒と氷魚を賜るしきたりになっていました。 かくして日本は、今や世界に冠たる「花卉園芸」の盛んな国となったのです。。
ちなみに、日本の「菊」は、その商業的地位に置いて、バラやカーネーションをしのいで、世界第一位を誇っています。。
(有田焼・柿右衛門の菊と芙蓉の絵皿)
〇「ベートーベン最後の演奏」9月9日
「楽聖・ベートーベン」
よく知られているように楽聖の「ベートーベン」は、後年、音楽家として一番大事な聴覚を失って耳が聞こえなくなりました。
それを誰よりもよく知っていたのは、彼自身でした。そこで1814年、彼は最後の室内楽のリサイタルを開き、その翌年には一度だけ聴衆を前にしてピアノを開きました。
そして、1819年に彼は完全に聴覚を失ってしまったのです。この年、「フィデリア」を指揮しようとして彼はほとんど音が聞こえず、半狂乱になって指揮台を降りました。
1824年にあの有名な「第9交響楽」が初演された時も彼は、客席に座ってただオーケストラを眺めていただけでした。作曲は出来るのに、それを聞くことが出来ない!。。作曲家としてこんな悲しい事があるでしょうか!?
しかし、彼は最終楽章が終わって、聴衆が熱狂しているのを見てやっと安心したのです。。
ちなみにこの演奏会で、彼が手にした金はこんんちの金に換算して、僅か1万5千ドルに過ぎませんでした。
(若き日のベート-ベン)
ところがその翌年、1825年の今日「9月9日」にウィーンのウンデルマン・ホテル」でベートーベンが「弦楽四重奏曲作品130番」の演奏に立ち会っているとき、突如として、その曲のある部分が楽譜に忠実に演奏されていないことに気づきました。
そこで彼は、やおら椅子から立ち上がり、バイオリン奏者からバイオリンを取り上げて自ら演奏ををし始めました。それが彼の人生差後の演奏だったのですが、そのバイオリンの調子はかなり狂っていたそうです。彼の最後の作曲は「弦楽四重奏作品第135番」ですが、彼が精魂を込めた「第十交響曲」はついに未完成に終わったのです。。