**〇風月抄「6月20日」日本最初の映画

 

     

             (東京、浅草の映画館)


 1899年(明治32年)の今日「6月20日に」、興行師の「駒田好洋」が、小西式写真機店からフランス製の映画カメラ(当時は、活劇連撮影用追写機械といった)を買い入れて、日本最初の映画を東京、木挽町の歌舞伎座で上映しています。

        

 

 この映画は、芸者の踊りを専門に東京銀座、浅草などの実写風景や、祇園の芸妓の舞踊、というような種々雑多なフィルムを寄せ集めたものでした。
 これが先駆となって、団十郎、菊五郎の「紅葉狩」や、榮三郎の「二人道成寺」などが公開されて、日本映画の第一号となったのです。

                    
      (日本最初の映画・紅葉狩)


 ついで、この年の暮れには、シカゴで開かれた「万博」の日本館の築に携わったた大工の「土屋常吉」が、撮影技術を学習し、ルービン社製の映画カメラを持って日本に帰ってきて、駒田の好敵手として、映画製作に取り組んでいます。


 その土屋は、滞米中にボクシングの映画が広い客層を集めるのを知っていたので、日本でも相撲の映画を作ろうと考え、大相撲の支度部屋に黒幕を張ってバックにして相撲を取らせて撮影しました。

 この映画はまず大阪で上映され、次いで、京都、東京でも公開され、その映画の入場料は、駒田の映画の一等席が「50銭」で、土屋の方は、一等席が「一円」という、二倍の高さだったのにもかかわらず、大成功を収めています。。

 

    
           (江戸末期の大相撲)


 このように、日本映画の草創期には、ちょうど20世紀入ると同時に、その映画の産声を上げたのです。。