〇「6月13日」桜桃忌「*玉川上水のこと」
1948年(*昭和23年)の今日「6月13日」に、作家の「太宰治」が人妻の「山崎富栄」とともに、多摩川上水で投身自殺をしています。そこで、太宰の代表作の『桜桃』にちなんで、この6月13日は「桜桃忌」と呼ばれています。
(投身自殺の現場) (愛人の山崎富栄)
この「玉川上水」は、江戸時代に江戸に初めて作られています。
何しろ、江戸に幕府が置かれて以来、人口が増えたのよかったのですが、江戸の人々が困ったのは、その膨大な人口の「水」を賄うことでした。何しろ江戸は低湿地なので井戸を掘っても良い水が出ませんし、深い井戸を掘るだけの技術もありません。そこで、考えられたのが郊外から水を引くことでした。
そのため、1635年(寛永12年、将軍「家綱」の時に、「玉川庄衛門」「清右ヱ門」兄弟に命じて)多摩川の水をせき止め、そこから取水して、四谷の大井戸まで総延長43キロのの水道を造らせることにしました。
そして総工費が約1万両で、工事期間が僅か16か月という驚くべき速さで完成し、四谷に引かれたその水は二分されて、その一つは、江戸城に入り、もう一本は赤坂から虎ノ門を経て現在の千代田区、港区の大名屋敷の用水を賄っています。
この水路は、明治以降も採用されて、淀橋の浄水路を経て、東京の水道システムの一部になっています。