〇風月抄 [長時間演説の記録」6月12日

 戦時中、昭和16年の12月21日に、学徒出陣の壮行会が各地で行われました。

 戦況が厳しくなって、それまでは、大学、高専などの学生は、20歳で軍隊に入るのを卒業するまで徴兵猶予されていましたが、みんな一律に20歳で入隊することになり、それらの学生の出陣の壮行会が東京をはじめ、各地で行われました。

 その走行会では、東条首相の長々とした訓示が全国に流され、その大阪の壮行会に列席した紫蘭は、足がしびれるやら、眠くなるやら大変な思いをしました。

                     

 

        

 戦時中は、小学校でも紀元節や明治節などの時に、寒い講堂で校長先生の長たらしい話をよく聞かされたものですが、とにかく、こんな長広舌は、なんとも有難くないものですが、このような驚くべき長時間の演説の記録がアメrカに残っています。
  
 1935年の今日「6月12日」に、当時、上院議員だった「ヒューゥイ・ロング」が、午後0時30分から演説を始めましたが、彼の弁論は長々と続き、深夜を過ぎてもなかなか止まず、翌日の午前4時過ぎにやっと終わっています。結局、彼の演説は、15時間という長いものになりましたが、彼は健康さえ許せば、まだまだ話し続ける予定だったのですが、彼が身体的な疲労のためにダウンしてしまったので演説を止めてしまったのです。

 彼のこの演説の速記録は、15万語に及び、議事録は100ページにもなっていますが、その中には「クッキーの作り方」などの、面白くもない無駄話も多くみられます。その議事録の印刷費用は、当時の金額で「5000ドル」だったそうです。。
 無駄な長広舌の典型ともいうべきものでしょうか。。