〇風月抄「最初の寝台車」5月2日
最後の審判に続いて、今度は最初の寝台車です」・・(^^♪。。

 

     

           (寝台特急・富士)

 

 飛行機や新幹線の時代になって、もう寝台車はすっかり忘れられた存在ですが、 学生時代の夏休みなどで帰郷するときは、博多駅から大阪までの往復によく「寝台車」を利用したものです。下関付近から薄暗くなって、寝台車の最上段の寝台で、通路を通る下界の人たちを眺めながら、つい、うとうとしていると、いつの間にか夜が明けて、もう大阪駅に着いていました。

 何しろ、眠っているうちに目的地に着くし、朝夕は食堂車に行って、車窓に飛ぶように移り行く春秋の景色を眺めながら食事が出来るし、寝台車はなかなか便利なものでした。
 然し、その頃、広島付近では寝台車の窓のカーテンを閉めるのが常識になっていましたが、後で考えると、ちょうどその頃「呉の海軍工廠」で、あの巨大戦艦の「大和」が作られていたのですね。。

 

      

     (戦艦・大和)           (大和の最後)


 ところで、こんな、寝台車の始まりは、いったい,何時の事でしょうか。
 1,800年代にアメリカの鉄道路線が広がり始めると、より快適な旅行のために寝台車の試作が盛んになりました。それを最も熱心に推し進めたのが「ジョージ・プルマン」で、彼は巨費を投じて、1864年に豪華寝台車「パイオニア号」を完成させました。

 

        

         (ジョージ・プルマン)


 しかし、この車両は普通の車両よりも幅が25センチほど広く、また60センチほど背が高くなっているので、トンネルも鉄橋も通れません。ちょうどその時、「リンカーン大統領」の暗殺事件が起きて、大統領の遺体をワシントンから出身地のイリノイ州、「スプリングフィールド」まで運ぶことになり、大統領夫人が、是非このブルマン寝台車を使いたいと、主張しました。
 
 そこで鉄道会社は、やむを得ず、プラットフォームを削り、鉄橋やトンネルまで大きくして、この特別列車を走らせる事にしました。 この列車が、スプリングフィ-ルドに向けてシカゴ駅を発車したのが、1865年の今日「5月2日」の午後9時30分のことだったのです。。